合奏譜頒布会 バックナンバー頒布
No.2317, ワルツ「夕べの歌」 作曲 : C.サンティーニ
○出典 Mandolinismo, 1925 Anno5-Numero.82
○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、
○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ
○パート譜 同上
作者については多くの書籍を調べたが行き当たらず不明である。“Mandolinismo”誌には肖像も掲げられているがプロフィールに該当する記述は見当たらない。同誌には毎年作品が継続して掲載され、スイスの楽団への献呈曲も多い事から地元の人であったと思われる。またMiro Santini名義での作品もあり、作品は判明している限り“Mandolinismo”誌のみに20数曲が確認出来る。特に創刊号、第2号がいずれもサンティーニの作品となっており、主幹のC.コレッタまたは出版元であるC.ノタリと近い人だった可能性がある。C.ノタリはイタリアからスイスのルジンゲンに移住した人で、マンドリニズモブランドで1960年代頃までマンドリンやギターを販売していたという記録もあり、商社を営んでいたようである。
本作はジャネット家のバベットとディディ姉妹に、と書かれておりごく近しい人への贈り物のような曲であったと思われる。素朴で素直な作品である。
No.2220, タンゴ「蘭の花」 作曲 : G.サルトーリ
○出典 Il Mandolino, Anno39-02, 1930.01.30
○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター
○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ
パート譜 同上
作者は1860年トレントのアーラで生まれ、1946年トレントに逝いたマンドリン・ヴァイオリン奏者、]作曲家。長兄が学問の道に進んだ為、家業である理髪店を継ぐ予定であったが音楽の才能は天賦のもので幼少期より独学でマンドリンを学び、18歳で最初の作品を書いた。1881年には同地のアーラ音楽協会にヴァイオリン見習いとして入会、その後ロヴェレート音楽学校でT.ブロギャルディにヴァイオリンを、G.トスに作曲を師事した。1888年にヴァイオリニストとして初舞台を踏んだ後、家業の理髪店に多くの音楽家達が訪れ、様々な要職を彼に要請した。アーラの教区ではオルガンを演奏し、町の楽団のコンサートマスターとしても活躍し、いくつかの楽団からは若い生徒への指導を依頼される程であった。
第一次大戦中はヴェローナに避難し演奏家として家族を支えたが、戦後は活動拠点をトレントに移し、1919年から1938年には地元のマンドリン楽団「クラブ・アルモニア」を指揮し各地を周り、好評を博した。中でも同クラブに献呈された幻想曲「フローラ」は大きな話題となり再版を重ねた。同職退任以降は作曲とヴァイオリンの指導に専念し300曲以上の作品を残した。中でも”Il Mandolino”誌の編集者G.モンティコーネとの良好な関係は彼に約40年に渡る定期的な楽曲発表の場を与え、マンドリン楽曲も150曲以上が残されている。イタリア民謡の旋律を題材としたものが多く、各種舞曲は快活でセレナーデやエレジーは非常にメランコリックと、多くのアマチュア奏者に絶大な人気を博し、カツェナウの伝統的な賛美歌をモチーフにした作品は市民に愛された。
死後も地元アーラの人々は彼を顕彰し、1996年没後50年を機に町ぐるみでサルトーリの作品を復興する活動が始まり、現在も「プレクトラム・アンサンブルのための国際コンクール」が行われている。
本作はサルトーリの作品では唯一タンゴの形式を持った楽曲である。気軽に陽気に楽しんでいただきたい。
No.2219, 水彩画「鶴は飛び立つ」 作曲 : F.スコンツォ
○出典 Il Plettro, Anno23-07,08, 1929.07/08
○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ、カンパーネ
○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ
○パート譜 同上
作者は1903年パレルモで生まれたフルート奏者、作曲家で没年は判明しなかった。同地のパトリオ音楽院でフルート、吹奏楽を学び、卒業後はG.ラ・ドゥーカ、B.ルビーノ、U.ボッタッキアリに作曲を学んだ。主にフルート奏者として活躍し、1930年には「フルートとフルート奏者~歴史と伝記」を出版した他、教則本やフルートの為の楽曲の制作に精力を注いだ。その後も「フルート総合演習」全8巻を出版するなどして名声を博した。フルートの為の作品には「ピッフェロとザンポーニャ(クリスマスなどに使用されるバグパイプのような楽器)」、「田園牧歌」等がある。なお、本作者に先んじてVincenzo Sconzoという作者が”Il Concerto"誌に十数作を発表しているが関係については不明である。
本作についての由来はハッキリしないが、作者が弦楽の為の作品を残しているのが興味深い。他にも1920年代に”Il Plettro”,”Il Concerto”に計4曲が確認されているが本作は唯一元から弦楽六部編成で書かれている。本邦でも武井守成がオルケストラ・シンフォニカ・タケヰで1931年にいち早く取り上げ、「此れ小品は近来に於ける思ひがけない立派な収穫の一つで、描写の妙味が従来の伊太利型を脱している。」と述べている。師であるU.ボッタッキアリの作品のオマージュと感じられる一節がさりげなく埋め込まれているのも興味深い。
なお、原曲には結尾部に7小節間のみ鐘が用いられているが、Si♭及びMi♭音の為大型のチューブラーベルが必要で今回の楽譜では割愛してある。鐘を編成に加える事が出来る場合はぜひ原譜スコアを参照の上、付加して演奏いただきたい。