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日本のマンドリン・ギター研究誌

(敬称略)

主な日本のマンドリンギター研究誌

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日本におけるマンドリンギター研究誌は1916年(大正5年)に武井守成がシンフォニア マンドリニ オルケストラ同人として発行した「マンドリンとギター」にその起源を持つ。この武井による取り組みは1923年9月の関東大震災によって一端中断した後、1924年には「マンドリン・ギター研究」の名の下に一層充実した内容として復刊した。「マンドリン・ギター研究」は太平洋戦争下の1941年10月、厚生音楽雑誌の統合という自体に直面し廃刊となるが、武井の熱意が失せる事はなく、翌1942年1月には「マンドリンとギター研究資料」を発刊し、学徒出陣以降各地のほぼ全てのマンドリン団体が活動停止となる1943年11月まで発行された。

この中で「マンドリン・ギター研究」は最も充実した内容を有しているが、赤城泰舒 (1925年)や有岡一郎(1927年)、平井武雄 (1933年)、鈴木誠(1934年)といった当時帝展で入選を果たすような画壇の精鋭たちの作品が次々と表紙を飾ってた事も特筆しておきたい。日本初の合奏団が生まれた東京美術学校でマンドリンを弾いていた面々がオルケストラ シンフォニカ タケヰに所属していた事の証のひとつである。

​当資料館では「マンドリンとギター」90冊中10冊、「マンドリン・ギター研究」全212冊中145冊、「マンドリンギター研究資料」全12冊中11冊を保有しており、これらは今後会員ページ上で閲覧可能となるよう進めていく予定である。
 

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一方、仙台では1927年に澤口忠左右衛門によって結成された「仙台アルモニア合奏団」の機関紙として「アルモニア」が創刊される。機関紙「アルモニア」はその後研究誌としてのスタイルを確立したが、アルモニアはその他に楽譜出版、海外の楽譜収集とライブラリ構築(収集のみならず貸し出しも行った)、国内における斯界用品(楽器や弦、各種文献) の海外取次、楽器演奏の教習など各々独立した部門を持ち、幅広い分野で斯界に貢献した。アルモニアは1941年に戦時下の国策によって休刊となったが、アルモニアの創刊時よりコンサートマスターとして参加していた高橋功が主幹となって1954年に復刊し、高橋がアフリカのシュヴァイツァー病院赴任後も1959年まで発刊された。当資料館には復刊アルモニア全巻を保有している。(アルモニアの一部はRobert Coldwell氏が公開しているDigital Guitar Archive上で見ることが出来る)

 
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先に記した「マンドリンギター研究資料」誌の発刊の序文には『本資料は「マンドリンギター研究」「アルモニア」両誌廃刊に伴ひ、両当事者協議の結果、斯楽の研究資料を得る事が不可能となった研究者演奏家の為に頒つものである。』と記されており、まさに当時の斯界が総力をあげて活動継続を模索していた事が伺える。
この二大誌が現在に連なる斯界の本流を確立した事を知る斯界人口の減少は愁うべき事であり、広くこれらを次世代に学ぶ諸氏が参照できる環境を整えたい。また言うまでもないがこうした戦前戦後の先達の意志を引継いだのが中野二郎であるが、それはまた別のページで今後紹介していきたい。

その他1920~30年代それぞれ短期間ではあるが、中野二郎が創刊した「ギターマンドリン界」、東京プレクトラムソサエティの内木清次や斯界先駆者の祖の一人田中常彦らが発行した「マンドリンギター評論(R.M.G)」や京都帝國大學フイルハーモニックソサエティの祖である貴家健而や後に関西斯界の重鎮となる鳥井諒二郎が活躍した「楽友」などがある。

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戦後では1959年より岐阜マンドリンオーケストラを率いた伊東尚生が膨大な私費を投じて発刊された「マンドリンギター研究誌フレット(Frets)」は1994年までの長きにわたって続いた。後年は発行が遅れる事も多かったが、執念とも言える情熱で発行を続けられた。伊東はFretsと岐阜マンドリンオーケストラという文筆と演奏という両面で長期に渡り多くの先人を尊び、S.ベーレント等と親交を結び、現代に連なる新風を送り込んだ。

Frets誌は初期を除き、特集に組まれる人物が表紙を飾るようになったが、初期には中野二郎が表紙絵を書いており(法隆寺天蓋天人)、中野もまた絵心をもった歌人であった事はこの後出版される多くの自作、編曲作品の表紙に結実している。

​Frets誌は同志社大学中野譜庫以外では閲覧できる場所が数少ないが当資料館では全145冊中、1962年7月発行の第20号以降の114冊について所有しており、こちらも注目される記事については会員ページで紹介していく事を検討している。

また東京では池ヶ谷一郎を主幹とし「展望」が発刊され、同人には高橋三男、編集顧問には鈴木静一、小池正夫が名を連ねている。初年度は手書き謄写版印刷であった。

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