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頒布作品解説と参考音源

2021年7~12月

2021-13 . R.ディエンス : 序曲「遙かなる祖国」

アンカー 1

 作者については各種音楽辞典、イタリアの人名辞典等を参照してもその名を見いだす事が出来ていない。

 本作は1901年5月”Il Mandolino”誌から発表された作品で同誌が主催した1898年の第4回作曲コンクールで銅メダルを受賞した旨が記載されている。同コンクールは「4つの部分からなる序曲の部門」と「三重奏の為の間奏曲の部門」の2部門から成っていたが、前者において1等がD.デ・ジョヴァンニの「ト調の序曲」で銀メダル、2等が本作で銅メダルを受賞した事が同誌に掲載されている。いずれの作品もマンドリン合奏の為の序曲として、マンドラを含む四部編成最初期のものであり、歴史的にも重要なものと考えられる。この4つの部分からなる序曲の形式は後に受賞作となるHy.ラヴィトラーノの「ローラ」、G.アネルリの各序曲等に継承されていく事となった。

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2021-14 . G.サルトーリ : 春の微笑み

アンカー 2

 作者は1860年3月8日トレントの最南端にあるアラで生まれ、1946年3月25日トレントで没した作曲者、指揮者、オルガニスト。理髪店と香水店を営む両親の元に生まれ、学問に専念した兄に代わり両親の跡をつぐ筈であったが、両親の理髪店は地元の音楽家たちのたまり場となっていた為、影響を受けた彼は独学で音楽を学んだ。その後周囲の勧めもありロヴェレート音楽院でT.ブロジャルディ教授からヴァイオリンを、G.トス教授から和声と作曲を学び、音楽を生業とする事を選択した。彼はブロジャルディ教授が監督を務めていた地元の吹奏楽団の指揮者も務め、またトス教授の推薦でサン・マリア・アスンタ協会のオルガニストにも就いた。

その時分より既にアマチュア向けの簡易なエレジー、セレナーデ、幻想曲、行進曲などを作曲していた事からトリノで”Il Mandolino”誌を発行していたG.モンティコーネの目に留まり、数多の作品を発表、広く名を知らしめるところとなった。

1889年にエルヴィラ夫人と結婚後は4人の子供に恵まれたが、早々に長男、妻を亡くす事となり、第一次大戦が始まると戦禍を避けヴェローナに難民として子供たちと移り住んだ。戦後もアラに帰ることはなく、娘夫婦とトレントに移住して生涯を全うした。

    彼は非常な多作家であり、”Il Mandolino”誌だけでも120曲以上が書かれ、他にもスイスの”Mandolinismo”誌やミラノの”Il Mandolinista Italiano”誌でも作品を発表している。マンドリンは独学で習得したとされるが、トレント時代にはマンドリンオーケストラ「クラブ・アルモニア」や「ヴェローチェクラブ」を指揮した。ヨーロッパでは彼の名を冠する楽団があちこちに作られ、彼は「マンドリンのレハール」と呼ばれ讃えられた。作品には季節や花の名が掲げられた作品が多く、また当時隆盛にあったヴェリズモオペラの抜粋曲をポプリ(花束)という形で美しくまとめ、いずれもが初心者にも手にしやすいものであった為多くのファンを生み出した。没後、1950年には生地アラは改装された市民劇場に彼の名を冠し、盛大な祝典を行った。

    本作は”Il Mandolino”誌の1930年11月号に掲載されたもので彼らしい明るく軽やかな舞踏曲である。他には特にワルツの作品が多く感情に訴える哀愁ある旋律からもまさに「マンドリンのレハール」と呼ばれるに相応しい。

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2021-15. L.ファンタウッツィ : 幻想曲「オーロラ」

アンカー 3

   作者は1872年頃にナポリ人の両親の元マルセイユで生まれ、1941年ドイツ軍占領下のフランスで没した。幼少期に父からマンドリンを贈られ、18歳の時にローマのアラコエリ教会のオルガニストの叔父の元で音楽を学んだ。数年後にはリサイタルを開くまでに腕を磨き、パリのベルリオーズ劇場でモンティのチャルダッシュを披露するなどして批評家の絶賛を浴びた。1928年にはベルリンでも演奏を行なった。その後はマルセイユに移り住み「マルセイユ音楽院」のマンドリン科の教授を長く務めた。また楽譜と楽器のビジネスでも成功を収め、自らの名を冠した出版者を設立した他、専門誌”Le Plectre”誌では主幹をつとめ、新作発表、評論など幅広い分野で活躍した。初期作はトリノの”Il Mandolino”誌にも掲載された他、自ら教則本を出版する等精力的に活躍した。自ら名手であった事からも判る通り、独奏曲にも「黄昏」「演奏会用前奏曲」等の優れた作品がある。

 

   本作は当時フランス領であったアルジェリアのボーヌの合奏団”L’Estudiantina L’Aurore”(オーロラ合奏団)に贈られたもので、1908年同地で開催された国際コンクールの課題曲となり、楽譜はフィレンツェのForlivesi社から出版された。本邦では戦前より愛奏されており、確認できる限り最も古くは1918年に早くも武井守成が組織したシンフォニア マンドリニ オルケストラの第5回定期演奏会で瀬戸口藤吉の指揮で演奏されている。本邦ではしばしば「黎明」と訳されてきているが、上記のように合奏団由来のタイトルの為、本稿では「オーロラ」とした。

 

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2021-16 . A.モンタナリ : 交響詩「海の印象」

アンカー 4

   作者は1878年12月、トスカーナ州リヴォルノで生まれ、1953年2月ローマで没した作曲家、ピアニスト、指揮者。G.タッキナルディに和声を学んだ後、1896年にフィレンツェの王立音楽院に入学し、R.グラッツィーニに対位法とフーガを、F.チレアにピアノを、B.ランディーニにオルガンを学んだ。1901年にピアニストのネリー・パーニと結婚し3人の子供に恵まれた。声楽作品を得意とし1904年にはフィレンツェのコンクールでソプラノとピアノの為のオペラ「死の接吻」で1等を受賞した。1939年以降はローマに移住し主にイタリア著作権出版社協会の委員として活動した。

   作品はオペラはじめとした声楽ものが多く、他に合唱、オルガン、管弦楽作品も残している。オペラからの抜粋曲や幻想曲は単独の管弦楽作品としてミラノのA.G.Carisch等からも出版されていた。現在作品の多くは遺族によってマスカーニ音楽院に寄贈され保管されている。

 

   本作はマスカーニ音楽院の資料によれば元々は1932年に書かれた管弦楽作品のようだが、1940年に開催されたシエナの第一回作曲コンクールで3等を受賞しており、作者自身によってプレットロに移されたと考えられる。「母を苦しめる悲痛な思い」という副題が冠されており、描写的なものではなく心象風景的な作品と言える。モットーはコンクール出品時につけられたものであろう。同コンクールでは次点にも「少女のセレナータ」という作品が受賞している旨が中野二郎氏によって記されている。これらの作品を所蔵していたのはシエナの合奏団で長らく指揮者をつとめ、現在私たちのレパートリーとなっている数多くの作品(P.シルヴェストリ「夏の庭」、C.O.ラッタ「英雄葬送曲」、V.ビルリ「チャルダス」等)を本邦にもたらしたA.ボッチ氏で、本作は岡村光玉氏の計らいによって日本にもたらされている。

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アンカー 5

2021-17 . G.デュトワ/M.マチョッキ : 幻想曲「ジャネットの恋」

   作者についての詳細は不明であるが、フランス著作権協会の記述によると1918年11月27日に没したとある。

   本作はフランスで1905年からM.De Rome(Mario Maciocchiの変名)を主幹として刊行された“L’Estudiantina”誌の1922年2月号(18 Année-215,216)に掲載されたもので、本作者による作品は本作の他に1921年に発表された「結婚式の花籠」が確認されている程度である。題名となっている「ジャネットの恋」は20世紀初頭に作家レオ・マーヴィルによって書かれた同名の短編小説が元になっているものと考えられる。

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2021-006 . Giovanni Bolzoni / Giovanni Francesco Poli

Semplicità Campestre, Madrigale  op.171

 
アンカー 6

2021-18 . A.トゥーネル : プロヴァンス風序曲

   作者については各種音楽辞典などを参照しても多くの情報は得られなかったが、”Editions Musicales Armand Tournel”と自名を冠した出版を多数行なっている事が判っており、その多くがアコーディオンアンサンブルの為のものとなっている。マンドリン作品についてはF.メニケッティが1948年に創刊し、主幹を務めたLe Mediator誌上で2作品が確認されているだけと考えられる。F.メニケッティ自身、アコーディオンアンサンブルの作品を発表しており知友であった事が伺える。また同誌の作品の楽曲の多くがマンドリン、マンドラパートはアコーディオンでも演奏可能と記載がある点は多くのアマチュアミュージシャンを意識したものであった事が感じられ、同誌の曲目紹介も大変フランクなもので、学究的なものよりも大衆に対しての啓蒙の視点が伺われる。同誌は当時マルセイユコンセルヴァトワールの教授であったL.ファンタウッツィの作品も出版しており、同誌を取り巻く人脈が学識経験者によっても支えられていた事も興味深い。

 

   本作も第1、第2マンドリン、マンドラパートは各アコーディオンでの演奏を併記している。またチェロ、バスアコーディオン、コントラバス、ピアノ、打楽器の為のパートが本四重奏の付録として別出版さされている事が付記されている。

   Tournelのもう一つのマンドリン作品が「アコーディオストの為の行進曲」である事等も併せて考えると、マンドリン団体とアコーディオン団体は戦後の復興期にあって、多くの人々に活力を与えるものとして愛好され、Le Mediatorはその両者に愉しんでもらい部数を伸ばす事を考えていたのかもしれない。

 
 
 

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2021-19 . A.H.クラーセンス : 秋の綺想曲

   作者は1910年生まれのオランダの作曲家、指揮者、マンドリニスト。ロッテルダムマンドリン協会Æoline(1932年6月設立)の会長を務めていたとされる。Æolineは1940年5月のドイツ軍のロッテルダム爆撃によって練習室が破壊され所持していた楽器や楽譜を全て焼失し、1945年6月まで活動は出来なかったが戦後に復興し現在でも活動を継続している。他の作品にはチャルダッシュ「トカイ」や「祝典行進曲」など華やかなで旋律美に溢れた作品が多い。

   本作は作者の代表作とされオランダ、デン・ハーグのDrukkerij M.P.Sから出版されたが、詳しい経緯などは不明である。

 

※本作者についてはマンドリンアンサンブル”Wohltenperiren”の指揮者知久幹夫氏よりご教示をいただいた事を付記します。

 
 
 

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2021-20 . C.コレッタ : 三美神,フォックストロット

   作者は1885年7月パチーノ(シラクサ)で生まれ、1960年メッシーナで逝いた作曲家、指揮者、画家、ギタリスト。ナポリの王立音楽院「サン・ピエトロ・ア・マジェッラ」で学び、同地のオペレッタ楽団の指揮も務めていた。”Il Concerto”誌でいくつかの作品が入賞してその名を知られるようになると同時にギター教師としても頭角を表し私立リカルド・ワグネル音楽院の特別コースの教師に招聘されたが、経済的事情から画家としても活動していた事が知られている。また著名なマンドリニスト、ニーノ・カタニアの師としても知られている。ナポリでチフスに冒されて九死に一生を得てからはメッシーナ等に移住し旺盛な活動を行なった。特に1920年代にスイスのルジンゲンでC.Notari社から発行された"Mandolinismo"誌では主幹を務めながら、ミラノの"Il Plettro”誌にも多くの作品を発表した。Mandolinismo誌では年間購読者の中から抽選で自筆の絵画をプレゼントしたという逸話がある。代表作である”Marinita”は”Il Plettro"誌の1920年のコンクールで行進曲・舞曲の部門で1等を受賞している。またA.Vizzariから発行されたBiblioteca del Chitarrista には数多くのギター独奏作品が収載されている。

 

   本作は1932年11月”Il Plettro”誌で合奏譜が発表された小品で、「親愛なる友人Michele Barbaroへ」と付記されている。”Le Tre Grazie”は直訳すると「三つの恵み」となるが、しばしばバロック期の巨匠P.P.ルーベンスが制作した絵画「三美神」を表す表現として用いられている為、今回の邦題はそれにちなんだ。神話上の三美神は輝き(アグライア)、喜び(エウプロシュネ)、花(タレイア)を表現しているがルーベンスの作品では官能性、活力、喜びが三美神の形で具現化されていると言われる。

  コレッタの作品には洗練された和声と浮き立つような旋律による愛らしい舞曲、セレナータ、スケルツォなどが多いが、まさに本作はそうした作者の特徴が表現された柔らかな憂いをまとった舞踏曲(フォックストロット)である。コレッタがその作品のいくつかを合奏版の前にギター独奏版として発表している事は興味深く、本作も当初ギター独奏曲として発表され、同誌の1924年の作曲コンクールで銀メダルを受賞している。また合奏譜の冒頭には”La Voce del Padrone”(イタリアにおけるH.M.Vの旧レーベル名)によって音盤化されたように読み取れる記載があるが詳細は不明である。

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※各作品の解説については、

Litalia Musicale d'oggi Dizionario dei Musiciti (1928) ​/ Albert De Angelis

Dizionario dei chitarristi e liutai italiani (2008) / Editorice "La chitarra" Bologna

Dizionario Chitarristico Italiano (1968) / Carlo Carfagna e Mario Gangi , Ed.Berben

Dizionario Universale dei Musicisti (1929) / Carlo Schmidl, Casa Ed. Sonzogno

Romelo Ferrari e la chitarra in Italia nella prima metà del Novecento (2009) / Simona Boni

Dizionario de Guitarristas (1934) / Domingo Prat

The Guitar and Mandolins (1972) / Philip J.Bone

Dizionario RICORDI della Musica e del Musiciti (1959) / Claudio Sartori

石村隆行氏からご提供いただいた各種資料​、故中野二郎氏、故松本譲氏が残した各種資料

​その他各種専門書籍などを元に作成しております。

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