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合奏譜頒布会 バックナンバー頒布
aviator
No.202308,  行進曲「飛行士」  作曲:J.アルバン

○出典 A.フォルリベージ

○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター
○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ
○パート譜 同上

作者は1900年代前半にフランスを中心に活躍した作曲家、マンドリン奏者。イタリアと国境を接するニース郡の小さな町ソスペルに住み、地元のソスペルマンドリン合奏団(Estudiantina Sospéloise)の指揮者を勤めていたとされる。作品は1900年代初期から1914年頃までに作曲されたものが残されているが、いずれも小編成でワルツやマズルカ、ポルカなどの舞曲形式のものが多い。作品番号は最も大きなものが160番となっており、多作家であった事が伺えるが現在目にする事が出来るのは20数曲で多くは武井音楽文庫、中野譜庫に所蔵されている。
本作は作品番号が97番であり、他の作品の発表時期を考慮すると1908-10年頃の作品と推測される。中野二郎氏がJMU会報No.75(1985)で本作について「雪をいただくアルプスの彼方に旭日の輝く様が描かれてある」と記している通り、複葉機が空高く舞う表紙が美しく、描かれた複葉機の左肩には「征服者たちへ」と記されている。本作が書かれたであろう1900年代の前半は航空技術の発展がめざましく、1909年フランスでランス国際飛行大会が開催されカーチスやファルマンの複葉機が入賞している。翌年にはペルー人のホルヘ・チャベスが初のアルプス超えに成功した。ライト兄弟による初の動力飛行機開発から10年も経っていない時期である。本作のタイトルは「飛行機」とも訳せるが前述した中野二郎氏の記載に倣い「飛行家」とした。大空を往く軽快な行進曲であるが、当時の「空を飛ぶ」という夢のような経験を思い起こしながら演奏してみていただければと思う。ちなみにA.アマデイの「飛行機のギャロップ」、R.ガルガーノの「飛行士」など飛行機関係の曲はどれも往事の空への憧れが伺える名曲が多いように思われる。

No.2313,  古風な牧歌「聖夜」   作曲:A.アルフィオーリ
Viglia

○出典  Il Mandolinista Italiano, 1926 No.275

○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、

○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ

○パート譜 同上

作者は1864年ミラノに生まれたマンドリニスト、作曲家。ミラノでマンドリン指導を行なっていたが、1892年にジェノヴァで開催されたマンドリン・ギター合奏団体の競演会でH. ヴュータンのロマンツァとC.ムニエルの第一協奏曲のソロを弾いて優勝し、ロンバルド風マンドリンの第一人者としてその名を広く世に知らしめた。このコンクールはアメリカ大陸発見400年を記念したもので、特に国際的にも注目を浴びた。その後、レジオ・インスブリカ、ルガーノ、ブスト・アルシツィオ、ヴァレーゼなどに移住しながら各地で合奏団の指導を行なった。新しもの好きで、マンドリン奏者として初めて自身の作品を蝋管と蓄音機に録音したという記録が残っているが、短命で60歳でクレンナ・ディ・ガララーテに没した。松本譲氏の記録によれば作品は、彼を庇護したA.モンツィーノによって独奏や合奏の為の作品が約30点出版されており、またナポリ風、ロンバルド風マンドリンの為の教則本、ギターの教則本も出版されたとある。

本作は当初マンドリン二部とギターの編成で1906年に出版されたが、死後”Il Mandolinista Italiano”誌には四部合奏の楽譜が掲載された。オルガン曲としても出版されたが、長閑で平和な一家のクリスマスイブを描いたような作品である。

No.2316,  舞踊曲「テルシコーレ」   作曲:A.アマデイ
tersicore

○出典  Il Plettro, 1907, Anno2-N.6

○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、

○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ

○パート譜 同上

作者は1866年12月イタリア、ロレートに生まれ、1935年6 月トリノに逝いた作曲家、オルガニスト、指揮者。父ロベルトと祖父ピエトロは共にロレート音楽院の院長で、アメデオも父ロベルトに学び、5歳で作曲を始め、7歳で最初の作品を出版している。ボローニアのアカデミア・フィラルモニカでピアノ、オルガン、合唱指揮を学んだ後、ピアニスト(F.ショパンを好んだという)、オルガニストや合唱指揮者として活躍した。妹のセシリアはピアニストで、義弟のQ.ラッツァリーニはカペラ・ムジカーレ・ローレターナのオルガニスト。1889年歩兵第73連隊軍楽隊長を就任、以降各地の軍楽隊長を歴任した。退役後はトリノに移住し指揮者指導者として楽壇に大きな貢献を成した。

作品の総数は498曲に及び、特に管弦楽の為の6つの組曲は代表作としてしばしば演奏された。E.ジュディチが監督を務めるベルガモのマンドリンクラブの名誉会長に就任し、作曲コンクールの審査員を各地で務めた他、斯界刊行誌“Vita Mandolinistica”、“Il Piano”に於いて主幹を務める等幅広く活躍した。

P.マスカーニは親友であり、夏になるとしばしばロレートを訪れた。後年トリノに移り住んでからも旺盛な作曲意欲を持ち多数の作品を世に出した。1910年、トリノで“Lo Spettacolo”紙が主催したオペレッタの作曲コンクールはG.ドロヴェッティの「王女の物語」を台本としたものであったが、S.ファルボ、E.レデギエリをおさえて優勝を勝ち得ている。

今回頒布する作品は、これまで日本には入って来ていないであろう作品。アマデイのご遺族から譲り受けた楽譜を元に加筆校訂したものとなる。遺族が作った自筆譜一覧では原譜は“Dancing”とだけタイトルが付けられた作品番号228にあたるもので“Il Plettro”誌で発表された。著名なマンドリン讃歌「プレクトラム」と同時期に書かれたものとなる。非常にシンプルな構成の曲であるが、アマデイらしい旋律美が感じられる佳曲である。

タイトルとなっている“Tersicore”はギリシャ神話に登場する女神“Terpsichórē”のイタリア語表記。“Terpsichórē”は、文芸を司る、大神ゼウスの9人の娘ムーサ(英語訳はミューズ)の一柱で、テルプシコラは「踊り」と「合唱」の女神とされる。他に占星術と天文学の女神ウーラニア、叙事詩の女神カリオペ、歴史の女神クレイオ、音楽と叙事詩の女神エウテルペ、悲劇の女神メルポメネ、抒情詩と恋愛詩の神エラト、英雄讃歌の女神ポリュヒュムニア、喜劇の女神タレイアがいる。

※未出版だがアマデイの作品には本作の1カ月前に書かれたワルツ「エウテルペ」作品227が存在する。

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