合奏譜頒布会 バックナンバー頒布
No.2218, 「ベツレヘム」小さなバグパイプ 作曲 : G.マネンテ
○出典 Il Mandolino Romano, Anno4-48, 1910
○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター
○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ
○パート譜 同上
作者は1868年2月カンパニア州のモルコーネに生まれ、1941年5月ローマに逝いたイタリア吹奏楽時代黄金期の中心人物と言える作曲家、指揮者、トランペット奏者。ソレントの楽団長であった父から最初の音楽教育を学びナポリ音楽院に進学、作曲とトランペットを学び、続いてマドリッドの音楽院でも学んだ。卒業後22歳の若さで歩兵得第60連隊軍楽長に就任、1898年のトリノ万博では 800 人以上で編成された吹奏楽団を指揮、各地を回った後1918 年に陸軍省から任命を受け、音楽隊を率いてニューヨーク、パリ、ロンドン、ブリュッセルと歴訪した。
作品は450 曲を超えるものがあり吹奏楽が圧倒的に多く、中でも行進曲は 100 曲以上を残している 。 マンドリン楽曲においては交響曲「マンドリン芸術」や「メリアの平原にて」 等の極めて重要作品や「詩人の瞑想」、「桂樹の下に」等ピアノ曲から移した美しい小品も残している。
本作はローマで刊行されていた”Il Mandolino Romano”誌から出た小品であまり知られていないものと思われる。題名となっているBetlemはカタロニア語でキリスト生誕地のベツレヘムの事と考えられる。ささやかなで慎ましい曲風は正に上質な小品と言ってよく、あまり大人数で演奏する曲ではないと考えられる。またCornamusaは「小さなバグパイプ」と訳したが、ダブルリードのシャルマイ(オーボエの前身でルネッサンス期の楽器)の一種を指す単語である。
No.2303, 行進曲「美しきルガーノ」 作曲 : G.マステッリ
○出典 Mandolinismo, Anno.8 No.147, 1928,
○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター (マンドロンチェロ、コントラバス、ティンパニ)
○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、コントラバス、ティンパニ
○パート譜 同上
作者は1878年10月イタリア北部のロヴィーゴ州(ベネト州)フィカロロに生まれ、1962年10月にルガーノに逝いた作曲家、指揮者、クラリネット奏者。1910年ボローニヤ王立音楽でI.ペレガッティにクラリネットを学び、1912年から14年までサルッツォで管楽器講師として勤めた後ルガーノに移り、 ルガーノ市民管弦楽団の副指揮者に応募、採用され1921年まで勤めた。またルガーノでは1925年にルガーノ市民フィルハーモニー管弦楽団や市民マンドリンクラブの指揮者となった他、スイスのカノッビオ・リスヴェーリオ・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者も勤めるなど精力的に活動した。同時にクラリネット奏者として1923年には、レオポルド・カゼッラ指揮のルガーノ・クルサール劇場管弦楽団のクラリネット奏者となった。1932年には、スイスでオトマール・ヌシオ率いるモンテ・チェネリ放送交響楽団創設に参加し長く首席クラリネット奏者として活躍した。作曲家としてはオペレッタ、管弦楽作品、教会音楽、室内楽と様々なジャンルの作品を残した。中でも1942年に書いたスイスを武装中立路線で守りぬき後に大統領となったジュゼッペ・モッタに捧げた2 声とオーケストラのための「レクイエム」が著名である。マンドリンの分野では3曲が確認されているが、むしろD.チマローザの序曲「欺かれた陰謀」「女の手管」の編曲が”Il Plettro”、”Il Concerto”の国際作曲コンクールの編曲部門で入賞していることで名前が知られている。
本作は"Pro Lugano e Dintorni"協会に捧げる、と冠がついた行進曲。ピアノ、小管弦楽、吹奏楽版の存在が示唆されている。主部はト長調、トリオはハ長調と平易な調性で書かれており行進曲としては大変優雅な雰囲気をまとっている。出版はスイス、ルジンゲンのC.ノタリ社から発行されていた
”Mandolinismo”誌によって1928年に発表された。この雑誌はスイスという独特な言語圏からイタリア語とドイツ語が並記されているのが特徴である。
No.2314, 「伊達男」特徴的小品 作曲 : G.S.ミラネージ
○出典 Manuscript, 1941
○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ、打楽器
○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ、打楽器
○パート譜 同上
作者は1891年イタリア、パッタローネで生まれ、1950年ミラノに逝いた作曲家、ヴァイオリニスト。ミラノのヴェルディ音楽院でI.ピツェッティとG.バスに師事した。作品は管弦楽、吹奏楽、ピアノ曲、歌劇など多岐に渡る。管弦楽作品では2つの「序曲」や「幻想曲」、「イ調のシンフォニエッタ」、吹奏楽曲では「勝利の凱旋」「神秘」等がある。マンドリン楽曲には1921年の”Il Plettro”誌作曲コンクールで一等に入選した「サラバンドとフーガ」等の無伴奏独奏曲や2つの「プレクトラム四重奏曲」が著名であるが、合奏作品にも「主題と変奏」や「愉快な仲間」など、際立って個性的かつ技巧的な作品が揃っている。
本作は1941年、前年に続きシエナで行なわれたO.N.D.(ファシスト党が主導した労働者の為の余暇組織的団体)によって企画され、シエナ地方の文化、芸術事務局が窓口となった作曲コンクールで佳作入賞した作品。同時に「情熱的間奏曲」「悲しきワルツ」も佳作に入賞している。(ちなみに前年にもミラネージは「愉快な仲間」で4等を受賞している) 応募時にはモットーが付されているが本作については判読が困難である。苦労して同コンクールの作品を捜し当てた岡村光玉氏のメモによれば、Rebus n.1と読めるようだが意味は判然としない。Galanteriaという単語は(女性に対する男性の)紳士的な礼儀、親切さに加え、「粋な」という意味を併せ持つ言葉である。「伊達男」という訳をつけたのはおそらく松本譲氏と思われるが本作の風刺的、諧謔的で大胆な作品に合う名訳と感じられる。