合奏譜頒布会 バックナンバー頒布
No.2211, 美的牧歌「日光浴室にて」 作曲 : A.P.ムルケンス
○出典 De Mandolinegids, No.164, 1941
○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロまたはリュート、ギター
○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ
○パート譜 同上
作者については1870年に生まれたオランダの作曲家、指揮者、ピアニスト、ヴァイオリニスト。音楽一家に生まれ、幼少期より多くの楽器を学んだが、家業の織物業の修行の為、ロンドンに留学するも音楽に没頭し、ピープルズパレスのコンサートマスターになった。ロンドンではギターも学び帰国、デン・ハーグのコンセルヴァトワールの教師となった。ハーグを拠点としてロンドン、アムステルダムでも活躍していたとあり、特にプレクトラム楽器に特別な愛着をもちマンドリンやギターも好んで弾いたとされる。1909年にはオランダ女王アーデルハイト・エンマ・ヴィルヘルミーネ・テレーゼの庇護の元、宮廷マンドリン楽団の指揮者を務めていた事がいくつかの作品に肩書として記されている。マンドリンに関する教則本を出版、ギター教室も経営し斯界の人気者であった他、人脈を活かしイタリア、フランス、ドイスでも様々なコンクールの審査員としても活躍した。また1929年にはブリュッセルで文学と哲学の博士号を取得した。
ムルケンスはヒルフェルサムのJ.J.Lispet社が発行した斯界誌De Mandolinegids誌に多くの作品を発表しているが、同時に同誌が毎年開催した合奏コンクールでは同誌主幹のH.スミッツJr、J.B.コックらと共に審査員を務めて、オランダの斯界を牽引した人物である。同誌は1919年より1939年頃まで発行されており、楽譜しか残っていないものが多いが、大森マンドリンオーケストラを主宰した山崎潤三は1920年代に同誌を多く収集しており、各種評論の他欧州各地の楽団の活動状況等や各種コンクールの案内が掲載されるなど、貴重な音楽資料となっている。また作者の作品はフランスの”L’Estudiantina”誌にも掲載され、いずれも同誌が行なった国際音楽コンクールの受賞作となっている事も付記しておく。
本作は一つ前の作品であるロマン風牧歌”In het Rozarium(薔薇の園で)”と対を成すように書かれた作品。ソラリウムとは日光浴室の事で、地中海周辺の国々では紀元前から住宅の上階に開放的な日光浴室が設けられた。サンルームはリビングの一部として使われる事もあるように、日光浴は健康増進の生活習慣の一部として捉えられ、現在もスポーツジムや医療施設などでは日光浴場が設けられている事が多いようだ。Idylle Esthétiqueという見慣れない副題も惹かれるところがある。作者としては比較的後年の作品で奇をてらったところはないが、演奏上の細かな情感的な指示が各所に記されているのが面白く、美しい和声感は他の作曲家にない特徴的なものである。
No.2212, マズルカ「鐘」 作曲 : G.ナヴォーネ
○出典 Arte Mandolinistica, Anno01 -N.8
○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、(ニ音の鐘を使用しても可)
○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ(ニ音の鐘)
○パート譜 同上
作者は1879年にピエモンテ州ヴィッラノーヴァ・ダスティに生まれたギタリスト、作曲家、音楽教師。当地では著名な音楽一家に生まれ、父は歴史的にも有名なハープ奏者のカロナリーナ・ナヴォーネ・ベッティ。人生の大半をギター音楽の振興に捧げたが、トリノでピエモンテギター教室を創設し、多くの仲間達を得て約40年間ギター教師として活躍。チェザレ・ビアンコやカルロ・レニエーリ等多くの優れた後進を育てた。マンドリン界隈よりもギターの世界での方が著名と思われる。
多くの作品を書いており、上記の事情からギター曲の方が圧倒的に多いが、マンドリンにおいては”Il Mandolino”誌に20曲以上を発表、しばしば作曲コンクールにも入賞した。マンドリン楽曲は至って平易なものが多いが、ギター曲においては「聖パウロの思い出」など技法的にも優れた作品がある。
本作品は現時点で知りうる限りにおいて唯一ジェノヴァの”Arte Mandolinistica”誌に発表された小品で唯一の四重奏編成の作品。”Arte Mandolinistica”誌についてはよくわかっていない点が多いが、本作は石村隆行氏が留学中に発見して初めて日本にもたらされたものと考えられる。マズルカの合間に間奏的に各パートにニ音の鐘が補完されており(おそらくグロッケンで代奏可能)、鐘を入れない場合はこれを意識して音作りする事が有効と思われる。
本曲については「奏でる!マンドリン」2022年秋号に小穴雄一氏の、「実に小穴さんらしい」解説も掲載しているので参照いただければ幸いである。
※本曲の繰り返し表記については、現在ではあまり使われていない独特な表記方法になっており非常に
複雑なため、どれが正解か定かではありませんが、当資料館としては下記のように解釈しました。
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くり返し記号通りに最後まで演奏する。この時「Per finire」の4小節間は演奏しない。
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49小節目のマークに戻り、繰り返しをしないで最後まで演奏する。
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9小節目のMazurkaに戻り、繰り返しをしないで39小節目のマークまで演奏した後、
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Per finireを演奏して終了。
No.2301, ポロネーゼ 作曲 : C.ピーニ
○出典 “HET NED. MANDOLNE ORKEST“, 1926.2 Bijlage.2
○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター
○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ
○パート譜 同上
作者については各種音楽事典をあたったが不明である。作品も上記HET NED. MANDOLINE ORKEST誌でもう一曲”Serenade Napolitane”が見つかるのみである。作品番号が3桁を数える事からそれなりの経歴を持った作曲家であった事が伺える。
“HET NED. MANDOLINE ORKEST“は英語で言うとThe Mandolin Orchestraという意味となる、1926年からオランダのアルフェン・アーン・デン・レイン(アムステルダムとロッテルダムの中間に位置)で発行された楽譜連載誌である。(ちなみにアルフェン・アーン・デン・レインにはアルヘオンという非常に有名な野外博物館がある)
この斯界誌は1926年から1930年頃までの短期間に発行されたもので、発行した楽曲も50数曲あるが、G.マネンテのSotto i Lauri(桂樹のもとで)、Principe di Piemonte(ピエモンテ皇子)、Danza Originale(独創的舞曲)、Buona notte Mimi(おやすみなさい、ミミ)などの重要な作品がある事や大阪のササヤ書店で入手が出来た事からオリジナルの楽譜が多く残っている。また同誌の作品は版元のBarend van Zwietenからも何曲か発行されている。
「ポロネーゼ」は言うまでもなく、フランス語で「ポーランド風」という意味で、マズルカと並び、ポーランド起源のゆったりした3拍子の舞曲を指す。マンドリン楽曲で「ポロネーゼ」といえばカラーチェやマルチェリの独奏曲が有名だが、合奏の作品において「マズルカ」は非常に多いが、「ポロネーゼ」は実は殆どなく、本作以外ではメッツァカーポの「アンダンテとポロネーズ」が見つかる位ではないかと思われる。形式的になかなかお目にかかる事がない事、和声が非常に美しく、簡易ながら少人数のアンサンブルでも聞き映えがすると感じられる作品である為、今年度の第1号として取り上げてみた。ぜひ音に出して味わっていただきたい。