top of page
合奏譜頒布会 バックナンバー頒布
pizzi
No.2217,  独創的幻想曲「クリスマス」  作曲 : U.ピッツィ

1.Les Cloches - Prélude 「鐘」前奏曲

2.Devant la Crèche – Pastorale 「ベビーベットの前で」牧歌

3.Arbre de Noël – Noël Ancien 「クリスマスツリー」 - いにしえのクリスマス

4.Final – Hymne de Gloire 「終曲」 - 栄光の讃歌

 

○出典 L’Estudiantina, 4 Année-47,48, 1908.2

○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター

○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ

○パート譜 同上

 

作者は1851年にイタリアのチェゼーナで生まれた作曲家で残念ながら没年は把握出来ていない。両親は彼を公証人として育てる事を望んだが、本人は音楽に対する強い使命感を感じて独学でヴァイオリンを習得、ローマの聖チェチーリア音楽院に入学し作曲を学んだ。1878年には学内の作曲コンクールで一等を受賞し、「名誉会員」の称号を得て卒業した。その後、フランスのサボォワ県エクス=レ=バンに呼ばれ、グラン・セルクル七重奏団とコロンヌ・オーケストラの一員となった。1885年にはシャンベリー国立音楽院のヴァイオリン教師に任命され、この町に居を構え、その才能と親切な人柄で、多くの人々に愛された。特に学生の育成に情熱を注ぎ、多くの弟子が生まれているが、E.ジュディチもその一人である。

作品にはヴァイオリンのための「ロマンス」や「セレナード」など、卓越した技巧と稀有な音楽的感覚を併せ持つ作品を数多く作曲している事がL’Estudiantina誌に記載されている。マンドリン楽曲では、同誌の第一回作曲コンクールで一等を受賞した「ピエロの物語」やIl Plettro誌に掲載された「人形のガヴォット」等があり、1938年まで作品が確認されているがその後が不明となっている。なお、本作者についてはP.スパークスが著書 <The Classical Mandolin>の中でも成功者の一人として取り上げており、今回の頒布作品も名前は古くから知られていたが、これまで楽譜を見る事が叶わなかったものの一つである。

本作は掲記L’Estudiantina誌の第2回作曲コンクールの入選作で4つの楽章からなる幻想曲。クリスマスという素材を扱いながら斬新な印象を与える曲で、上記のスパークスの著書にもその特徴ある内容が記されている。第1楽章は遠くで鳴る時計の鐘を模した響きで開始される。特徴的なのは第3楽章でフランスカトリックのクリスマスキャロルIl est né le divin enfant(神の子は生まれたもう)が奏でられ、奏者はマンドリンを一端置いて、おもちゃのトランペットやガラガラ、おもちゃの太鼓を演奏する事を勧められている。当時のアマチュア奏者に大変人気ある作品であったようだ。

No.2320, 即興曲「不安...」  作曲 : A.サヴォーヤ
savoja

○出典 Il Plettro, Repertorio del “PLETTRO” Serie 1, 1907

○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、リュート、ギター、コントラバス

○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、コントラバス

○パート譜 同上

 

作者は1855年ロンバルディア州パヴィーアに生まれた作曲家、指揮者、音楽教師。詳しい楽歴は不明だが、1906年には同地でIn Arte Charitas(慈善芸術)マンドリン合奏団を組織して活動を行なっている。各地の合奏コンクールに出演している記録が残っており、度々入賞している事から20世紀初期の優れた合奏団の一つであったと思われる。”Il Plettro”誌には創刊間もない頃から係わっており、1909-10年の作曲コンクールでは審査員をつとめている。

本作は1909年4月に二日間に渡ってパヴィーアで行なわれた合奏コンクールで同作者の「平穏」と並んで課題曲となった作品である。「平穏」がゆったりとした曲調で音楽性や表現力を問う作品であるのに対し、本作は技巧的な面と楽団としての統率力を追求した作品と考えられる。技巧的なパッセージ、頻繁な転調、急速に入れ代わるリズムとテンポなど、シンプルな構成に相反して技術的には比較的高難度な部分がある。またこの2作はいずれもマンドラとリュートがほぼ同一パートであるのに対してコントラバスが2部に分かれるなど個性的なオーケストレーションとなっているが、本稿の作成にあたってはコントラバスパートから部分的にチェロに旋律を移行している。この2作はどちらかを選択して自由曲と共に演奏するものであったが、出演13団体中10団体が本作を選択している。コンクールの終幕には全団体500名からなる合奏でA.サボーヤの「女性たちの行進」が本人の指揮で、A.アマデイのマンドリン讃歌「プレクトラム」がA. ヴィツァーリの指揮で演奏された。このコンクールには審査員としてC.ムニエルも加わっており、大変な盛況であった事が当時の記事から伺われる。しかしながらいくつかの管弦楽作品が伺える程度でその後の足どりは不明である。

なお、本作は前述したIn Arte Charitas(慈善芸術)マンドリン合奏団の事務局長で、上記コンクールの組織委員長でもあった「疲れをしらない」フランチェスカ・ピッツァカーロに献呈されている。ちなみにもう一曲の「平穏」は同合奏団の団長であるアドリアーノ・ヴァレンティ博士に献呈となっている。

「平穏」はオザキ譜庫から出版されているのでぜひ対をなすこの二つの作品を弾き較べてみていただければと思う。演奏されたという話を聞かないが流石ヴィツァーリが特別出版に組み込んだ隠れた名作である。とはいえ記譜上、アーティキュレーションが不統一な部分がある為、演奏者側で違和感がある部分は原譜も参照の上演奏いただきたい。また邦題については”Ansie”という語句については「熱意」「熱望」などの意もあるが、”Calma(平穏)”との対比を意識して「不安」として捉えてある。

salvetti
No.2310,  宗教的コラール「乙女の祈り」作曲 : S.サルヴェッティ

○出典 Il Mandolino, Anno17-7 (1908)

○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター

○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ

○パート譜 同上

 

作者は1870年に1月にロンバルディア州ブレノに生まれた作曲家、ピアニスト。パルマとミラノの音楽院で作曲、オルガン、ピアノを学んだ。卒業後は主に鍵盤楽器奏者や吹奏楽指揮者としてカモニカ渓谷(世界遺産のヴァルカモニカの岩絵群で有名)で著名な音楽家で、エシーネ、ブレノ、ダルフォ各地の楽団で指揮を務め、ブレノではマンドリンオーケストラを創設したが、「地位や収入に拘らない生き方」はまさに「ボヘミアン」として地元で尊敬を集めた。終生地に根付いた暮らしを続け、1932年カモニカ渓谷の中心区であるダルフォ・ボアーリオ・テルメで亡くなったが、生家は記念館となり今でもカモニカの人々に愛されている。

作品はオルガン、吹奏楽、ピアノ曲もあるが、マンドリン楽曲は最も作者が愛したもので100曲以上が残されたという。特に1905年“Il Mandolino”誌のコンクールで一位入賞した間奏曲「海の囁き」でその名を斯界に知らしめた。作品は他に“Il Concerto”、“Il Plettro”、“Mandolinismo”等所謂斯界の定番と言える楽誌から60曲以上が出版された。

本作は1908年に“Il Mandolino”誌で発表され、重版を重ねた事が伺え好評だったと推察される。今回は1923年に再版された版によった。「親愛なる友人ジュリア・コロンボへ」と肩書されており、上記の経歴を踏まえると地元の音楽仲間であったかもしれない。和声的にも非常に単純だが、まさにニ長調を、Deus(神)に繋がる調と考えると、敬虔で素朴な作者の人柄が伺えるものとなっている。大編成ではなく小中規模のアンサンブルに最適と思われる。

bottom of page