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合奏譜頒布会 バックナンバー頒布
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No.2203,  ワルツ「親密な会話」Op.151 作曲 : A.アマデイ
No.2204,  古風なセレナータ(メヌエットとガヴォット)  作曲 : A.アマデイ
No.2205,  行進曲「イタリア旅行協会」 作曲 : A.アマデイ

○原編成

    第一、第二マンドリン、ギター(親密なお話、古風なセレナータ) “Il Concerto”

    マンドリン、マンドラ、ギター(イタリア旅行協会) “Il Plettro”

○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ

○パート譜 同上

 

作者は1866年12月イタリア、ロレートに生まれ、1935年6 月トリノに逝いた作曲家、オルガニスト、指揮者。父ロベルトと祖父ピエトロは共にロレート音楽院の院長で、アメデオも父ロベルトに学び、5歳で作曲を始め、7歳で最初の作品を出版している。ボローニアのアカデミア・フィラルモニカでピアノ、オルガン、合唱指揮を学んだ後、ピアニスト(F.ショパンを好んだという)、オルガニストや合唱指揮者として活躍した。妹のセシリアはピアニストで、義弟のQ.ラッツァリーニはカペラ・ムジカーレ・ローレターナのオルガニスト。1889年歩兵第73連隊軍楽隊長を就任、以降各地の軍楽隊長を歴任した。退役後はトリノに移住し指揮者指導者として楽壇に大きな貢献を成した。作品の総数は498曲に及び、特に管弦楽の為の6つの組曲は代表作としてしばしば演奏された。E.ジュディチが監督を務めるベルガモのマンドリンクラブの名誉会長に就任し、作曲コンクールの審査員を各地で務めた他、斯界刊行誌“Vita Mandolinistica”他に於いて主幹を務める等幅広く活躍した。P.マスカーニは親友であり、夏になるとしばしばロレートを訪れた。後年トリノに移り住んでからも旺盛な作曲意欲を持ち多数の作品を世に出した。1910年、トリノで“Lo Spettacolo”紙が主催したオペレッタの作曲コンクールはG.ドロヴェッティの「王女の物語」を台本としたものであったが、S.ファルボ、E.レデギエリをおさえて優勝を勝ち得ている。

今回頒布する作品は、いずれもアマデイのご遺族から譲り受けた楽譜を元に低音部を加筆したもの。

「親密なお話」は1898年(Il Concerto Anno02-N.12)に出版された作品で、同年の第2回作曲コンクール・ワルツの部で銀杯を得た作品で表紙には「マエストロ・アマデイの新作はいつでも嬉しい体験を提供してくれる。「親密なお話」はインスピレーション、エレガント、繊細な詩でいっぱいで、すべての良い趣味のマンドリニストに最も歓迎されるだろう...。」と記されている。

「古風なセレナータ」と1905年(Il Concerto Anno09-N.11)に出版された作品で、1904~1905年に開催された作曲コンクール・セレナータの部で第一等金牌を受賞している。同二等金牌はU.ボッタッキアリの「ナポリ湾にて」だった。セレナータと題されているがメヌエットとガヴォットの2つの舞曲からなっており、メヌエットのみ中野二郎氏編曲でJ.M.U.から1993年に出版された。

行進曲「イタリア旅行協会」は1910年(Il Plettro Anno05-N.5)出版の作品で、題名となっている”Touring Club Italiano”(T.C.I,)はサイクリングと旅行を奨励する為1894年に57人のサイクリストによって設立され、自転車道の設置や各道路への応急的な医療設備の設置,観光道としての整備を狙った植栽事業を行なった。20世紀に入ると自転車部門だけでなくあらゆる形態の観光が活動の対称となり自然環境保護、都市観光整備を進め、1917年には雑誌”Le Vied'Italia”を創刊、当時の会員数は10万人を超えていたと記録されている。戦後は多種のガイドブック、精緻な地図の作成を行い、2014年に設立120年を迎え、イタリアを代表する旅行協会となっている。本作はこれまで日本に入ってきていなかった作品で、冒頭には当時の代表者であったフェデリコ・ジョンソンに献呈と記されている。美しいトリオを持つ単純明快な行進曲だが稀代のメロディメーカーであるアマデイの魅力が存分に発揮された作品と言えるだろう。本作はこれまで日本に楽譜が入ってきていなかった

Viglia
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