合奏譜頒布会 バックナンバー頒布
No.2214, マドリガル「遥かな幻影」 作曲 : M.バッチ
○出典 Il Concerto, Anno25-23(601), 1922
○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター
○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ
○パート譜 同上
作者は1873年フィレンツェに生まれた作曲家、マンドリン・ギター奏者、評論家、音楽教師。同地でサルヴァトーレ・フィチーニとヴィンチェンツォ・ビルリに和声と対位法を学び、グイド・モナコ・マンドリン合奏団の指揮者として活躍。マンドリン合奏の為に非常に多くの作品を残した作曲家として戦前より知られている。
本邦においても早くから演奏されており、代表作にはフェラーラのマルゲリータ合奏団に贈った序曲「マリネッラ」"Marinella"、フィレンツェのムニエル合奏団に贈った序曲「ヴェルシリア」"Versilia"があり、いずれもA.ヴィツァーリ社から手写譜として発売され共益商社などを通じて日本にもたらされた。また1925年にリヴォルノのG.ヴェルディ合奏団に献呈された交響的印象「神秘の世界」"In mundo arcani"は1926年に明治大学が演奏した記録だけが残り(そもそも未出版曲でどのように入手したのかも不明)、長い間中野二郎氏がその行方を捜索しながら見つからず、石村隆行氏がイタリア留学中の1991年ようやく作者の非常に判別しづらい自筆譜を捜し当てたという逸話が残る。その他のマンドリン合奏作品は1910年代から1930年代にかけて”Il Mandolino”、”Il Plettro“、”Il Concerto”、”L’Estudiantina”、”Le Pletcre”等イタリアとフランスの代表的な音楽誌に満遍なく提供されている。
後年はローマに移り、文化連盟会長の要職も務めた他、パリやニューヨーク等に楽旅し、様々な音楽誌に多数の寄稿を残したと伝えられるが、特に”Il Plettro”誌には多くの論説が掲載された他、著作としてギター及びマンドリンの教則本がある(当館にはギターの第一巻のみ所蔵で、他はオザキ譜庫さんが所蔵しています)。なお、晩年はフィレンツェに帰ったと伝えられるが詳しい消息が判っていない。また100曲以上の作品が残っていながら肖像写真が見つからないというのも珍しい。
作品は前述の3つの作品以外では単純な構成でやや通俗的なものが多いが、特にイタリア、フランス双方で多くの作品が出版されたという事から考えると双方の愛好家に受け入れられる作品が書けるというセンスを持ち合わせた人だった事に気がつく。(中野二郎氏の講話の中にはイタリアはフランスの曲は演奏しない、フランスはイタリアの曲は演奏しないというお話がある)
本作はマドリガルと記されている通り、牧歌的田園的な叙情詩で長閑な景色が描き出されている。奇をてらったところは一切なく、ニ長調から変ロ長調と非常に明るい調性が選択されており、結尾部もちょっとオシャレな作品で少人数でもアンサンブルの楽しさが味わえる佳曲である。
No.2309, ワルツ「東洋の薫り」 作曲 : G.ベルレンギ
○出典 A.フォルリヴェージ
○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター
○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ
○パート譜 同上
作者はボローニャ近郊で陶器の町として知られるファエンツァで生まれ、フィレンツェに逝いた撥弦楽器及び擦弦楽器作品の作曲家、ヴィオロンチェロ・マンドリン奏者、教育者、出版人。イタリアにおけるマンドリン関連の音楽活動の勃興期に大きな活躍を果たした重要人物である。当初はG.リコルディ社やC.ブラッティ社から自作を発表していたが、1882年にA.フォルリヴェージ社を創設し(フォルリヴェージは彼の妻の旧姓)、自作以外にも多く作曲家の作品を扱い、出版と流通に寄与した。同社の発行する楽譜は表紙が大変美しく独創的であった。またGiuseppe Battista Piraniの筆名でナポリ型・ローマ型マンドリンの教則本や小品を発表した他、実名でもギター、リュートカンタービレの為の教則本を著しており、G.ブランツォーリとともに1890年代初期のマンドリン奏者を大いに啓蒙した。作品の数も夥しいものがあり、民謡を中心として合奏をしていた者たちは、優雅で美しい旋律をもつ作品が多数現れた事を歓迎し、その作風は19世紀末から20世紀初頭にかけての斯界の繁栄を牽引した。しかしながら20世紀に入り、より和声や対位法を駆使した作品が現れるとこれらは徐々に過去のものとして忘れ去られてしまった感を禁じ得ない。
本作は高田金八もJMU会報No.62(1983)でも指摘している通り、Vagnettiという人物(調べたが尋ねあたらず)との共作曲のベルレンギ編(1885年版)という形式であったが、重版再版を繰返しながら校訂され(主旋律自体がよく似た別旋律に変わっている)、最終的には共作版と大きく異なる形になった事からベルレンギの単独作品(1895年新版)として出版されたのではないかと考えられる。今回はベルレンギの単独作としてA.フォルリヴェージから出版されたものを使用した。
また版が変わる度にValzer Brillante,Valz Caracteristico,Valzer Popolare, Celebre Valzerなど形式表現が異なり、献呈者も度々変更されているなど、複雑な?経緯を辿った事が推察される。更に本作はほぼ同一内容で後年フランスのA.ドュランド社から”Voix de la Brise(風の声)」というタイトルで出版されている。経緯はともあれそれだけ需要があったということであろう。演奏される楽器の組み合わせも表紙を追って見ていくとピアノ独奏版から吹奏楽版まで三十種以上のヴァリエーションが存在していた。別紙に確認出来ている限りの異版表紙を掲載したので皆様なりに推理いただければ幸いである。
なお本作は全てパート譜でのみ出版されており、総譜が存在しない。採譜にあたっては内声部に和声的に必ずしも正確とは見受けられない部分があるが、敢えて原曲のままにしているので、演奏時には指導者指揮者が個々の見識に則って修正、アンサンブルの場合は奏者間で相談の上、適宜修正するなどしていただいた上で演奏されて構わないと考える。
No.2322, 宗教的旋律「祈り」作曲: V.ビルリ 校訂 : A.ボッチ
○出典 自筆総譜
○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、コントラバス、ティンパニ
○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、コントラバス、ティンパニ
○パート譜 同上
作者は1869年4月、イタリア北東部のエミリア州ラヴェンナ県ブリジゲッラで生まれ、1938年フィレンツェに逝いた指揮者で作曲家。父ジュゼッペよりフルート、ピアノ、作曲を学び、僅か16歳で本格的なオペラを作曲した。その後はペザロのリセオ・ロッシーニ(現在のロッシーニ音楽院)に学んだ。作曲者、指揮者としてフランス、スペイン、オランダ、イギリスを渡り歩いた他、教育者としても多くの門下生を輩出した。非常な多作家で作品の総数は不明ながら、判明している作品番号のついたものだけで445番まで確認されており、それ以外の作品番号のないもの含め、石村隆行氏調べによれば総数で600曲程度が書かれたのではと推測される。作品の多くはピアノ曲、管弦楽や歌曲であるが、子供の為の作品やピアノの為の連弾曲を残しているのが印象的である。自身のマンドリン作品はごく少数であるようだが、作品の多くを出版したリコルディとの関係からかA.モルラッキによる編曲の他、F.アモローソ、G.F.ポーリと斯界ではお馴染みの顔ぶれによる編曲が多数残された他、本邦では中野二郎氏による編曲、岡村光玉氏の尽力でシエナの楽団指揮者で作者の友人でもあったA.ボッチによる編曲も残されている。戦前より愛奏されてきた「月への掻き鳴らし」、「シレナの唄」や中野二郎氏が編曲した「エチオピア小景」等、小中編成の作品などはプレクトラムの響きとの親和性から小編成で合奏を楽しむ人々の多い昨今において復権されるべきものと言えよう。
本作は1930年にリコルディ社からピアノ独奏曲として出版されたもので、宗教的旋律の副題の通り簡潔ながら荘厳な響きに満たされており、単一主題によるものとしては出色とも言える高揚感に溢れている。このボッチ整曲によるものは二種類の楽譜が残されており今回採用した小編成のものの他にハープ、ハルモニウムなどを含む大編成の異版もある。筆跡はどちらもボッチ氏のものであるが、後者の表紙には「作者によるオーケストラ編曲」と書かれており真偽は不明である。
No.2304, 序曲「芸術と労働」作曲 : I.ビテッリ
○出典 Mandolinismo, Anno.10 No.199, 1930
○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、(チューブラーベル)
○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ、チューブラーベル
○パート譜 同上
作者については180曲以上のマンドリン合奏作品を残していながら、生年が判然とせず没年はわかっているもののその生涯については多くの事はわかっておらず、1923年のMandolinismo誌に簡単な経歴が掲載されており「既に有名なこの作曲家は紹介するまでもないだろう。15年以上に渡って、遠く離れたアメリカにさえ多くの支持を得ている弦楽四重奏団の創設者である事は言うまでもない。バンドの監督であると同時にロマーニャ地方で最高と評判のビテッリ楽団の指揮者でもある。」と記されている程度である。1940年、41年にシエナで開かれたO.N.D.( Opera Nazionale del Dopolavoro ファシスト党が組織した、労働後の余暇活動を支援するための地方委員会として作られた組織で体制を維持する上での制御組織)の作曲コンクールでメヌエット「中世の城」と「太鼓手の巡邏」が入賞している。作品の殆どは”Il Mandolino”と”Il Concerto”に掲載されており、特に”Il Concerto”では終巻の時期は半数以上が彼の作品で占められている。日本では1922年の”Il Mandolino”誌で発表された序曲「サン・ジュスト」が有名で、”Il Mandolino”誌は戦前は萩原廣吉が神戸で営んでいたプレットロ楽譜店や共益商社(楽器部門は後のヤマハ銀座店となった)などを通じて流通し、戦後は昭和25年に大阪で店を構えたササヤ書店等で容易に入手出来たことから多くの愛好家に知られている。
本作は同じ“Mandolinismo”誌から当初「クレムリン」のタイトルで1923年に出版されたものとほぼ同じ内容の作品であるが、1923年と1930年という短期間に改題して再度「曰くありげな」題名で掲載した経緯は不明ながら、単なる刷り直しではなく、版を起こし直している事から何か事情があったのだろう。
“Mandolinismo”という雑誌を発行していたのがルジンゲンというスイスの中でも比較的フランスやドイツに近い土地柄も影響していたかもしれず、"ARTE E LAVORO"といういかにもファシスト党やO.N.D.が好みそうなタイトルに変更して発表しなおしたという点には、時局を考慮した何かしらの意図があった可能性も有る。
No.2216, アヒルのフォックストロット 作曲 : U.ボッタッキアリ
○出典 Il Concerto, Anno26-15(617)
○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター
○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ
○パート譜 同上
作者は1879年3月にマチェラータのカステルライモンドで生まれ、1944年3月コモに逝いた作曲家、指揮者。名家に生まれ工業学校を出たが、16歳で既に生地への讃歌として行進曲「カステルライモンド」を作曲、天性の音楽的才能をもって18歳でペザロのロッシーニ音楽院に入学、P.マスカーニに和声とフーガを師事した。在学中から数々のコンクールに入賞した他、20歳で書いた歌劇「影」はマチェラータのロッシ劇場で初演され大成功を収めた。マンドリンの為にも多くの作品を残しており、中でも1905年U.M.Lの作曲コンクールで第1位の文部省大銀牌を受賞した交響曲「ジェノヴァへ捧ぐ」、1910年の“Il Plettro”の第3回作曲コンクールで第1位を受賞したロマン的幻想曲「誓い」や「交響的前奏曲」、1941年にシエナで開催されたコンクールで第1位を受賞した瞑想曲「夢の魅惑」などはいずれも斯界の至宝的存在となっている。
本作は1923年8月“Il Concerto”誌第617号に掲載された作品で、親しい友人のルイジ・グァリスコに献呈されたもの。フォックストロットは1900年代初期にニューヨークのボードビリアン、ハリー・フォックスが披露して有名になった4/4または2/2の社交ダンスの形式である。中庸なテンポとリズムで1910年代にアメリカで大流行し、第一次大戦後にヨーロッパにももたらされた事もあり、マンドリン作品にも多くのフォックストロットが存在する。冒頭から鮮烈に奏でられるアヒルの主題がシンコペーションであることもあり、ぎこちないヨチヨチ歩きを連想させる。その他にも躓きながら一生懸命歩く様子やみんなで河に飛び込む仕種などが描写される。作者の作品は重厚な大作を演奏する事が多いが、このような魅力的な小品も数多くある。本邦でも1920年代から演奏がなされており、大正モダンのマンドリン弾き達が楽しそうに演奏する様子が目に浮かぶ。
No.2311, 無言歌 作曲 : C.A.ブラッコ
○出典 A.フォルリヴェージ
○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ
○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ
○パート譜 同上
作者はイタリアのマンドリニスト、ヴァイオリニスト、指揮者で作曲家。アマチュア管弦楽団、吹奏楽団やジェノヴァのマンドリン合奏団などで指揮者をつとめた他、1902年の”Il Mandolino”誌による第6回作曲コンクールにおいて「マンドリンの群」が金牌を得て、6月に同誌に掲載されると、各地の合奏団から好評を博し、レパートリーとして定着していった。”Il Mandolino”誌には1895年から作品を発表している。
作者について生年没年はおろか、そのフルネームさえも判然としないまま長い時間が過ぎていたが、1990年代に石村隆行氏が在伊中に”Il Mandolino”1905年2号初版に作者の訃報記事を発見し、生年と没年が判明、2019年にカルロ・アオンツォ氏が調査の結果、公文書によりフルネームと正確な没日が判明した。それらによれば作者は1860年にピエモンテ州ビエッラに生まれ、1905年1月22日にジェノヴァに逝いた作曲家である事が判明している。
本作はフォルリヴェージからパート譜として刊行されているが発行年は不明。出版時の編成はピアノ伴奏またはギター伴奏の二種のパターンでマンドリンとの二重奏からマンドロンチェロ、リュートまで含む六部合奏まで多様な版が存在した。同社の創設者でもある作曲家G.ベルレンギに献呈されている。今回はマンドロンチェロを含む五重奏版にマンドローネ(コントラバス)パートのみ加筆している。
また、本作は1923年に武井守成の提唱で開催されたシンフォニア・マンドリニ・オルケトラ(S.M.O.)主催の第一回全国マンドリン合奏団コンコルソの課題曲として選ばれている。何故本作がこのコンコルソの課題曲として選定されたかについては、「マンドリンとギター」誌に掲載された記事の中には見つける事が出来なかった。S.M.Oは1918年に本作を定期演奏会で演奏しており、武井は「今回は此人の最幽艶な旋律を御紹介しやうと思ひます。之は作品第八十四で彼の雄健な小交響楽「マンドリンの群」を耳にした人に取っては之が同一作曲家の手に成ったものか如何かを疑はしむる程美しい心地よい曲です。各パートの使用の飽くまで巧みな虚に何時もながら感嘆を禁じ得ません。」と評している。
なお、このコンコルソにおいて課題曲は五部の編成であった事から、中野譜庫に残されている手書きの総譜はその時に参加団体に対して配布されたものである可能性を考えておきたい。ちなみに市毛譜庫内には本コンコルソに参加した斎藤秀雄率いるオーケストラ・エトワールが往事に使用したと思われる本曲の手書きパート譜が残されている。
No.2318, ロンド 作曲 : R.カラーチェ
(1924年来日時の作曲者改訂による武井守成採譜版)
○出典 マンドリン・ギター研究, 1935.4/5/6
○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、リュート、キタローネ、ギター
○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、コントラバス、ギター
○パート譜 同上
作者は1863年12月イタリア、ナポリに生まれ、1934年11月同地に逝いた作曲家、楽器製作者、演奏家。弦楽器商を営むアントニオ・カラーチェの次男として生まれ、ナポリの王立音楽院を卒業後、兄のニコラと共に家業を受け継いだ。本頒布会読者には説明の必要もないと思われるのでその他の経歴はここでは省略する。作品は約170曲にも及び、現在Federazione Mandolinistica Italiana (F.M.I.)のWEBページにて現時点で判明している楽譜が全点公開されている。
1924年、カラーチェは三女のエレオノーラが当時在日イタリア大使通訳であったコルッチ氏と結婚する為に彼女を伴って来日し、2か月あまりの滞在にあわせて東京、京都、名古屋等で演奏会を開催した。更に皇太子時代の昭和天皇や東伏見宮邸などで御前演奏を披露、勲三等瑞宝章を叙せられ、現在も工房に掲げられている 。
本作はジュゼッペ・カンジャーノという人物に献呈されているが、おそらくナポリでカラーチェが主幹をつとめた音楽雑誌Musica Moderna等の印刷や出版物の装丁、宝飾等を手掛けていた人物と思われる。しかしそれを失念したカラーチェは本作を武井に献呈としてしまった。帰国後に気付いた「無邪気な(武井談)」カラーチェは別の曲を献呈してきたという逸話が残されている。本作の演奏は同年12月28日にカラーチェが旧O.S.T.を指揮した歓迎演奏会で演奏されているが、多くの逸話を持つこの日の演奏会とそれに至る様子を含め、カラーチェと多くの時間を共にした武井等の随想は「マンドリン・ギター研究」の1925年2月号に詳しい。また本曲は翌年1月31日の演奏会でも再演されており、正確な作曲時期は特定出来ないが「近い過去に書かれた」とされている事から1924年前半頃の作と推察される(旧O.S.T.に献呈された「エレジア」Op.131が1924年9月の作とされている)。
前述のF.M.I.のアーカイヴには原曲となったと思われるマンドリンとピアノの二重奏、マンドリンとギターの二重奏、四重奏、マンドリンオーケストラと4つのバージョンが残されているが、それぞれの版によって音量表記や強弱記号が異なっている。
今回頒布する合奏譜は上述のF.M.I.アーカイヴに収載されたものとはオーケストレーションが全く異なっており、前述の12月28日の演奏会に臨むにあたり、カラーチェ自身が「欠陥を持っている」として練習時にかなり手を加えたものとなっている。武井はこの修正について「成るべく実際に近いものを記して置きたい」として間近で見た修正を反映し、実演に使用した楽譜の再現を試みたと考えられる。
本楽譜はマンドリン・ギター研究の1935年4,5,6号に掲載され、同時に楽譜に書かれていないカラーチェの指示等の解釈を「詳解」としてまとめている。本頒布譜では「詳解」で文章として附された表記を極力楽譜上に反映してみたが、楽譜に表現できない点もあり、演奏にあたっては「詳解」を参照していただきたい。なお武井音楽文庫に残されている往事のパート譜(日付入り)の記載も参照している。また同譜ではリュートパートが書かれているが、今回は一般的な演奏で利用可能なようにマンドロンチェロパートにして部分的にオクターヴを変更してある。腕に自信のあるリュート奏者はぜひ武井が記したままで演奏してみてほしい。ローネと読めそうなパートは記譜通りだとコントラバスの音域である為バス譜にしてある。当日の写真を見るとマンドローネ以外にキタローネとアルチキタルラが並んで写っている事からバス譜として演奏したと思われる。またギターは部分的にD調弦が示唆されている。
なおカラーチェの来日時の動画はYoutubeで公開されており、気さくな人柄を伺わせているが、武井がにこやかに談笑している姿も極めて印象的である。
No.2222, ガヴォット「愛撫」 作曲 : G.カーリ
○出典 Il Plettro, Anno7-8/9, 1912.04.30/05.15
○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター
○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ
○パート譜 同上
作者については本作入賞が発表された”Il Plettro”誌に、マンドリン演奏の世界では新たな存在だが、楽壇では既に高い評価を受けていると紹介されており、多くの楽団の指揮者として活躍する一方、ピアノと吹奏楽の為の曲を多く生み出しているとある。作品には4楽章の交響曲や、2幕の歌劇「エーデルワイス」等があり、作品はイタリア各地のコンクールに入賞しているとされる。”Il Plettro”誌では1916年、1917年にも作者の作品が掲載されているが、各種の音楽事典やイタリアの様々な文化や人々のライブラリである”Treccani.it”にも掲載されていない。
本作は”Il Plettro”誌の第4回国際作曲コンクールのカテゴリーD、四重奏(マンドリン×2、マンドラ、ギター)の為のガヴォット、前奏曲、ミヌエット等の部門で一等を受賞した作品である。”Il Plettro”誌の作曲コンクールからは多数の名作が生み出されており、この第4回でもS.ファルボの序曲ニ短調やA.カッペルレッティの「劇的序曲」、N.ラウダスの「ギリシャ風主題による序楽」などが入賞しており、それらに匹敵する作品と位置づけられるだろう。
出典 Il Plettro, Anno7-8/9, 1912.04.30/05.15
原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター
スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ
パート譜 同上
作者については本作入賞が発表された”Il Plettro”誌に、マンドリン演奏の世界では新たな存在だが、楽壇では既に高い評価を受けていると紹介されており、多くの楽団の指揮者として活躍する一方、ピアノと吹奏楽の為の曲を多く生み出しているとある。作品には4楽章の交響曲や、2幕の歌劇「エーデルワイス」等があり、作品はイタリア各地のコンクールに入賞しているとされる。”Il Plettro”誌では1916年、1917年にも作者の作品が掲載されているが、各種の音楽事典やイタリアの様々な文化や人々のライブラリである”Treccani.it”にも掲載されていない。
本作は”Il Plettro”誌の第4回国際作曲コンクールのカテゴリーD、四重奏(マンドリン×2、マンドラ、ギター)の為のガヴォット、前奏曲、ミヌエット等の部門で一等を受賞した作品である。”Il Plettro”誌の作曲コンクールからは多数の名作が生み出されており、この第4回でもS.ファルボの序曲ニ短調やA.カッペルレッティの「劇的序曲」、N.ラウダスの「ギリシャ風主題による序楽」などが入賞しており、それらに匹敵する作品と位置づけられるだろう。
No.2306, 歌劇「ゴリアルド家の人々」第3幕への前奏曲
作曲 : E.カッサーニ 編曲 A.カンパニーニ
○出典 Il Plettro, Anno18-07/08, 1924
○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ
○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ
○パート譜 同上
作者は1863年3月イタリアのパルマに生まれ、1936年9月同地に逝いたクラリネット奏者、作曲家、指揮者。1879年にパルマ王立音楽院に寄宿生として入学し、89年に首席で卒業、翌年にはクラリネット奏者として全国コンクールで優勝し同音楽院で1935年まで教鞭をとった。独奏者として活躍する一方、地元のサン・ジョヴァンニ劇場で歌劇指揮者としても活躍した。作曲家としての創作は舞台ものが多く、歌劇やオペレッタの他、本作のようにヴォードヴィルと呼ばれる舞台劇(フランス発祥の流行歌入り軽喜劇)等を残している。
本作はルイジ・シベリーニの台本による3幕の舞台劇で、パルマのテアトロ・レージョで1893年3月に上演された作品でパルマの大学が共同で主催する芸術協会の為に書かれている。どのような筋書きの内容かは判然としていないが、本作だけがマンドリン合奏に編曲されている。時代的にいわゆるヴェリズモオペラに属するものと思われるが、起伏に富んだ作品で和声が美しい作品である。中規模な編成での演奏が効果的ではないかと思われる。
日本では近年演奏されたという話を聞かないが、早くも1927年に慶応義塾マンドリンクラブであの宮田政夫が指揮をして取り上げており、慧眼の至りというべきだろう。ちなみに1937年には服部正が指揮をして再演されている。
編曲のA.Campaniniはアッティリオ・カンパニーニの事と推察される。
A.カンパニーニは1863年、カッサーニと同じパルマに生まれ、1938年に同地に逝いたヴィオラ奏者、作曲家、指揮者。第一次大戦後、ジォヴァンニ・ボッテジーニの名を冠したマンドリン合奏団の指導者指揮者に就任した。作曲家としての作品は1913年にIl Plettro誌の第4回作曲コンクールにおいて第3位を受賞した「セレナータ(未発見)」の他1曲しか知られていないが、編曲の面では度々コンクールの編曲部門で受賞している。コンクールで受賞している著名な編曲作品としてL.V.ベートーヴェンの「アテネの廃墟」序曲、F.メンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」、J.ブルグマイン(G.リコルディ)の「婆さんの話」、P.モルラッキの「スイスの牧人」の他、本邦にはもたらされていないものとして、L.マンチネルリの「クレオパトラの悲劇の為の6つの交響的間奏」序曲がある。

