合奏譜頒布会 バックナンバー頒布
No.2202, 田園風牧歌 作曲 : F.アモローゾ 校訂 : 石村隆行
○出典 Arte Mandolinistica, Anno5-9,10,1913,
○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター
○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ、ベース
○パート譜 同上
作者は1874年サレルノ近郊パレルモで生まれた作曲家、吹奏楽指揮者。13歳でトロンボーン奏者としてナポリ音楽院に入学、金管楽器の教授であったガッティに学んだ。またピアノや和声、対位法等も学び、卒業後は第50歩兵連隊軍楽隊に配属となり駐屯地であるボローニアで、既に作曲家指揮者として著名であったG, マルトゥッチに作曲を学んだ。1903年には若くしてローマのサンタチェチーリア音楽協会布告の音楽監督コンクールで1位になり、第24歩兵連隊軍楽長に任ぜられ、各地に駐屯し優れた指揮者としても評価され、吹奏楽の作品の数々も称賛を浴びた。多作家で管弦楽、吹奏楽、ピアノ曲、歌曲など多数が残されている。マンドリン楽曲で一般的に知られた曲は序曲「祖国への愛」と考えられるが、この作品は1913年にジェノヴァの作曲コンクールで入賞したもので「アルテ・マンドリニスティカ」誌に掲載されたが、他にもギターやピアノとの二重奏等愛らしい作品が残っている。残念な事に作者は不治の病に冒され、ナポリで療養生活を送る中、1915年10年同地で失意のうちに自殺した。「イル・プレットロ」誌の主幹であるA.ヴィツァーリは1919年12月発行の同誌で病床のアモローソからの手紙を紹介しつつ、異例とも思える長文で作曲者の死を悼んでいる。そこには戦時という不運な状況下でその死がどこにも報じられなかった無念な思いが吐露されていると共にアモローソの産み出した芸術作品が如何に偉大なものであったかの賛辞が共に記されており、芸術家同志互いに尊敬の念をもち強い信頼関係で結ばれていた事が伺える。
本作は「祖国への愛」と同年に「アルテ・マンドリニスティカ」誌に発表された作品で、これまで日本にはもたらされてこなかったものである。今回頒布する6部編成の版は数年前に海外のオークションサイトで石村隆行氏が入手した原作を校訂したものとなる。牧歌調の二つの主題が様々に転調しながらうつろう様が非常に美しい作品で、素朴であることがむしろ作者の上質で慎み深い作風を映し出している。今回同氏のご厚意により本頒布会でご紹介をさせていただける事となった。この場を借りて感謝申し上げたい。
No.2210, セレナータ「穏やかな夜」 作曲 : G.アネッリ
○出典 Il Mandolino, Anno34-Num.21, 1925
○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、
○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ
○パート譜 同上
作者は1873年5月にイタリアのクレモナ県トリーゴロで生まれ、1923年8月トリノで没した作曲家、指揮者、教育者。伝説的オルガニストのV.A.ペトラリの弟子であった父よりオルガンを習い、ミラノの音楽院に進みM.サラディーノやA.ガリに和声、対位法等を学んだが、16歳にならないうちに父が亡くなり、父の後任として故郷のオルガニストと楽団指揮者に就任しなければならなくなった。1895年に私費留学生としてボローニャの音楽院を卒業、1907年からはトリノのカルマニョーラのアカデミア・フィラルモカやカリニャーノ市民楽団の指揮を務めた。また1924年からはサルッツォ音楽学校の教授となり、後に学長も勤めた。作曲はそうした忙しい活動の合間を縫って行なわれたが、作品にはオペラ「万歳!」「アウローラ」、自身の台本であるオペレッタ「人生波瀾万丈」等を作曲した他、ミサ曲などの宗教曲、交響曲「我が祖国」「イタリアの復活」等がある。マンドリン楽曲の作曲にあたってはジュゼッペ・トリゴロのペンネームで序曲「イタリアの復活」「イタリアの目覚め」「劇的序曲」など5つの序曲を書いておりマンドリン合奏におけるシンフォニアの形式の定番様式を残した。
本作はサルッツォ音楽学校の教授であった時代の作品で(初版楽譜にはその旨の記載がある)Il Mandolino誌に発表された小品であるが、平易な技法で書かれているが旋律が美しく、短いながら起承転結が明確で巧みなオーケストレーションはシンフォニア同様にここでも活かされている。親愛なる友人であり同僚であるI.A.フィリオリーニに献呈と記載されている。
No.2319, 眩惑舞踊「アンシャン・レジーム」 作曲 : M.バッチ
○出典 Il Concerto, Anno29-11(685) (601), 1926
○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、
○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ
○パート譜 同上
作者は1873年フィレンツェに生まれた作曲家、マンドリン・ギター奏者、評論家、音楽教師。同地でサルヴァトーレ・フィチーニとヴィンチェンツォ・ビルリに和声と対位法を学び、グイド・モナコ・マンドリン合奏団の指揮者として活躍。マンドリン合奏の為に非常に多くの作品を残した作曲家として戦前より知られている。
本邦においても早くから演奏されており、代表作にはフェラーラのマルゲリータ合奏団に贈った序曲「マリネッラ」“Marinella”、フィレンツェのムニエル合奏団に贈った序曲「ヴェルシリア」"Versilia"があり、いずれもA.ヴィツァーリ社から手写譜として発売され共益商社などを通じて日本にもたらされた。また1925年にリヴォルノのG.ヴェルディ合奏団に献呈された交響的印象「神秘の世界」“In mundo arcani”は1926年に明治大学が演奏した記録だけが残り(そもそも未出版曲でどのように入手したのかも不明)、長い間中野二郎氏がその行方を捜索しながら見つからず、石村隆行氏がイタリア留学中の1991年ようやく作者の非常に判別しづらい自筆譜を捜し当てたという逸話が残る。
その他のマンドリン合奏作品は1910年代から1930年代にかけて“Il Mandolino”,“Il Plettro”,“Il Concerto”,“L'Estudiantina”,“Le Plectre”等イタリアとフランスの代表的な音楽誌に満遍なく提供されている。後年はローマに移り、文化連盟会長の要職も務めた他、パリやニューヨーク等に楽旅し、様々な音楽誌に多数の寄稿を残したと仕えられるが、特に“Il Plettro”誌には多くの論説が掲載された他、著作としてギター及びマンドリンの教則本がある(当館にはギターの第一巻のみ所蔵で、他はオザキ譜庫さんが所蔵しています)。なお、晩年はフィレンツェに帰ったと伝えられるが詳しい消息が判っていない。
作品は前述の3つの作品以外では単純な構成でやや通俗的なものが多いが、特にイタリア、フランス双方で多くの作品が出版されたという事から考えると双方の愛好家に受け入れられる作品が書けるというセンスを持ち合わせた人だった事に気がつく。(中野二郎氏の講話の中にはイタリアはフランスの曲は演奏しない、フランスはイタリアの曲は演奏しないというお話がある)
本作は武井音楽文庫から見つかったもので、知られざる作品の一つと考えられる。題名となっている“Ancient Règime”とはフランス革命以前のブルボン朝など絶対王政下の政治・社会体制の事を指す言葉で、後の世の人々によってしばしば皮肉を込めて風刺画などが発表されている。副題となっているバレエ・プードルは造語と思われるが、プードルは本来的にはおしろいや粉末を指す単語であるが目を欺く、騙す、などの隠喩を含んだものと想定した。曲そのものの内容とはあまり関係ないようにも思われるが、しばしば差し挟まれる転調は風刺というよりもむしろ軽妙なこの作家の妙技とも言えるだろう。