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合奏譜頒布会 バックナンバー頒布
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No.2214, マドリガル「遥かな幻影」 作曲 : M.バッチ

○出典 Il Concerto, Anno25-23(601), 1922

○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター

○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ

○パート譜 同上

 

作者は1873年フィレンツェに生まれた作曲家、マンドリン・ギター奏者、評論家、音楽教師。同地でサルヴァトーレ・フィチーニとヴィンチェンツォ・ビルリに和声と対位法を学び、グイド・モナコ・マンドリン合奏団の指揮者として活躍。マンドリン合奏の為に非常に多くの作品を残した作曲家として戦前より知られている。
本邦においても早くから演奏されており、代表作にはフェラーラのマルゲリータ合奏団に贈った序曲「マリネッラ」"Marinella"、フィレンツェのムニエル合奏団に贈った序曲「ヴェルシリア」"Versilia"があり、いずれもA.ヴィツァーリ社から手写譜として発売され共益商社などを通じて日本にもたらされた。また1925年にリヴォルノのG.ヴェルディ合奏団に献呈された交響的印象「神秘の世界」"In mundo arcani"は1926年に明治大学が演奏した記録だけが残り(そもそも未出版曲でどのように入手したのかも不明)、長い間中野二郎氏がその行方を捜索しながら見つからず、石村隆行氏がイタリア留学中の1991年ようやく作者の非常に判別しづらい自筆譜を捜し当てたという逸話が残る。その他のマンドリン合奏作品は1910年代から1930年代にかけて”Il Mandolino”、”Il Plettro“、”Il Concerto”、”L’Estudiantina”、”Le Pletcre”等イタリアとフランスの代表的な音楽誌に満遍なく提供されている。
後年はローマに移り、文化連盟会長の要職も務めた他、パリやニューヨーク等に楽旅し、様々な音楽誌に多数の寄稿を残したと伝えられるが、特に”Il Plettro”誌には多くの論説が掲載された他、著作としてギター及びマンドリンの教則本がある(当館にはギターの第一巻のみ所蔵で、他はオザキ譜庫さんが所蔵しています)。なお、晩年はフィレンツェに帰ったと伝えられるが詳しい消息が判っていない。また100曲以上の作品が残っていながら肖像写真が見つからないというのも珍しい。
作品は前述の3つの作品以外では単純な構成でやや通俗的なものが多いが、特にイタリア、フランス双方で多くの作品が出版されたという事から考えると双方の愛好家に受け入れられる作品が書けるというセンスを持ち合わせた人だった事に気がつく。(中野二郎氏の講話の中にはイタリアはフランスの曲は演奏しない、フランスはイタリアの曲は演奏しないというお話がある)
本作はマドリガルと記されている通り、牧歌的田園的な叙情詩で長閑な景色が描き出されている。奇をてらったところは一切なく、ニ長調から変ロ長調と非常に明るい調性が選択されており、結尾部もちょっとオシャレな作品で少人数でもアンサンブルの楽しさが味わえる佳曲である。

No.2309, ワルツ「東洋の薫り」 作曲 : G.ベルレンギ
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○出典 A.フォルリヴェージ

○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター

○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ

○パート譜 同上

 

作者はボローニャ近郊で陶器の町として知られるファエンツァで生まれ、フィレンツェに逝いた撥弦楽器及び擦弦楽器作品の作曲家、ヴィオロンチェロ・マンドリン奏者、教育者、出版人。イタリアにおけるマンドリン関連の音楽活動の勃興期に大きな活躍を果たした重要人物である。当初はG.リコルディ社やC.ブラッティ社から自作を発表していたが、1882年にA.フォルリヴェージ社を創設し(フォルリヴェージは彼の妻の旧姓)、自作以外にも多く作曲家の作品を扱い、出版と流通に寄与した。同社の発行する楽譜は表紙が大変美しく独創的であった。またGiuseppe Battista Piraniの筆名でナポリ型・ローマ型マンドリンの教則本や小品を発表した他、実名でもギター、リュートカンタービレの為の教則本を著しており、G.ブランツォーリとともに1890年代初期のマンドリン奏者を大いに啓蒙した。作品の数も夥しいものがあり、民謡を中心として合奏をしていた者たちは、優雅で美しい旋律をもつ作品が多数現れた事を歓迎し、その作風は19世紀末から20世紀初頭にかけての斯界の繁栄を牽引した。しかしながら20世紀に入り、より和声や対位法を駆使した作品が現れるとこれらは徐々に過去のものとして忘れ去られてしまった感を禁じ得ない。

本作は高田金八もJMU会報No.62(1983)でも指摘している通り、Vagnettiという人物(調べたが尋ねあたらず)との共作曲のベルレンギ編(1885年版)という形式であったが、重版再版を繰返しながら校訂され(主旋律自体がよく似た別旋律に変わっている)、最終的には共作版と大きく異なる形になった事からベルレンギの単独作品(1895年新版)として出版されたのではないかと考えられる。今回はベルレンギの単独作としてA.フォルリヴェージから出版されたものを使用した。

また版が変わる度にValzer Brillante,Valz Caracteristico,Valzer Popolare, Celebre Valzerなど形式表現が異なり、献呈者も度々変更されているなど、複雑な?経緯を辿った事が推察される。更に本作はほぼ同一内容で後年フランスのA.ドュランド社から”Voix de la Brise(風の声)」というタイトルで出版されている。経緯はともあれそれだけ需要があったということであろう。演奏される楽器の組み合わせも表紙を追って見ていくとピアノ独奏版から吹奏楽版まで三十種以上のヴァリエーションが存在していた。別紙に確認出来ている限りの異版表紙を掲載したので皆様なりに推理いただければ幸いである。

なお本作は全てパート譜でのみ出版されており、総譜が存在しない。採譜にあたっては内声部に和声的に必ずしも正確とは見受けられない部分があるが、敢えて原曲のままにしているので、演奏時には指導者指揮者が個々の見識に則って修正、アンサンブルの場合は奏者間で相談の上、適宜修正するなどしていただいた上で演奏されて構わないと考える。

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No.2322,  宗教的旋律「祈り」作曲: V.ビルリ 校訂 : A.ボッチ

○出典 自筆総譜

○原編成  第一、第二マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、コントラバス、ティンパニ
○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、コントラバス、ティンパニ
○パート譜 同上

作者は1869年4月、イタリア北東部のエミリア州ラヴェンナ県ブリジゲッラで生まれ、1938年フィレンツェに逝いた指揮者で作曲家。父ジュゼッペよりフルート、ピアノ、作曲を学び、僅か16歳で本格的なオペラを作曲した。その後はペザロのリセオ・ロッシーニ(現在のロッシーニ音楽院)に学んだ。作曲者、指揮者としてフランス、スペイン、オランダ、イギリスを渡り歩いた他、教育者としても多くの門下生を輩出した。非常な多作家で作品の総数は不明ながら、判明している作品番号のついたものだけで445番まで確認されており、それ以外の作品番号のないもの含め、石村隆行氏調べによれば総数で600曲程度が書かれたのではと推測される。作品の多くはピアノ曲、管弦楽や歌曲であるが、子供の為の作品やピアノの為の連弾曲を残しているのが印象的である。自身のマンドリン作品はごく少数であるようだが、作品の多くを出版したリコルディとの関係からかA.モルラッキによる編曲の他、F.アモローソ、G.F.ポーリと斯界ではお馴染みの顔ぶれによる編曲が多数残された他、本邦では中野二郎氏による編曲、岡村光玉氏の尽力でシエナの楽団指揮者で作者の友人でもあったA.ボッチによる編曲も残されている。戦前より愛奏されてきた「月への掻き鳴らし」、「シレナの唄」や中野二郎氏が編曲した「エチオピア小景」等、小中編成の作品などはプレクトラムの響きとの親和性から小編成で合奏を楽しむ人々の多い昨今において復権されるべきものと言えよう。
本作は1930年にリコルディ社からピアノ独奏曲として出版されたもので、宗教的旋律の副題の通り簡潔ながら荘厳な響きに満たされており、単一主題によるものとしては出色とも言える高揚感に溢れている。このボッチ整曲によるものは二種類の楽譜が残されており今回採用した小編成のものの他にハープ、ハルモニウムなどを含む大編成の異版もある。筆跡はどちらもボッチ氏のものであるが、後者の表紙には「作者によるオーケストラ編曲」と書かれており真偽は不明である。

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