合奏譜頒布会 バックナンバー頒布
No.2307, 行進曲「ルツェルンに栄光あれ」 作曲 : R.ガルガーノ
○出典 Il Plettro, Anno19-07/08, 1925
○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター
○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ
○パート譜 同上
作者は1879年1月イタリアのカタニアに生まれ、1962年7月スイスのベリンツォーナに逝いたマンドリニスト、指揮者、作曲家。17歳でマンドリニストとしてのキャリアをスタートし、トリエステでは"Estdiantina dell'Unione Ginnastica"の監督をつとめ成功をおさめており、同地の権威ある新聞には「驚異的な俊敏さと優しいタッチがガルガーノを偉大なマンドリン奏者にしている」と評されている。作曲家としての作品はマンドリンのみならず管弦楽曲、協奏曲、オペラなど多岐にわたった。一方ベリンツォーナのマンドリン合奏団でも指揮を務めた他、吹奏楽団の監督や聖歌隊長を歴任した。また1929年から1945年までは同じスイスのピオッタ映画祭の監督を務めるなど様々な音楽活動に深く根を下ろした活動をしていた事が伺われる。
マンドリン関係の作品はVita Mandolinistica、Il Plettro、Il Concerto各誌で1900年代初期、多くのコンクールに入賞し掲載された。Il Concerto誌にも同誌のコンクールで受賞した行進曲「東郷元帥」や3パートのマンドリンとマンドラという珍しい編成で書かれた「夕べの祈り」等がある。
本作はIl Plettro誌の第2回作曲コンクール(1909)グレード2(幻想曲、前奏曲、間奏曲、その他四部合奏の部)でHy.ラヴィトラーノの「雪~ロマンツァとボレロ」と並び佳作に入賞している。このコンクールではA.アマデイの「海の組曲」、G.マネンテの「メリアの平原にて」等の名作が誕生している。ちなみに作者はグレード3(舞曲の部)ではワルツ「愛しい人への思い」で第一位を得ている。
この作品は同誌の1909年第16号に総譜が掲載されたが、好評だったと見えて1915年第2号ではマンドリンとギターの為の二重奏としてパート譜が掲載(武井音楽文庫所蔵)され、未確認ではあるが2ndマンドリンとマンドラのパート譜が3月号に掲載されたようだ(岡村氏頒布では4パート同時配布)。また1925年第8号でも総譜が再掲載された。1909年と1925年の総譜は同一の版から起こされたものと見られる。なお、総譜では記載がないが1915年のパート譜にはダ・カーポの後、トリオに入る前の小節にFineが書かれている為、今回の版では補足で記載してある。
日本では慶応義塾マンドリンクラブが早くも1921年5月の第15回定期演奏会で「ルツェルンに幸あれ」という和訳題で演奏会を締めくくる大合奏として取り上げており、戦前には多くの合奏団のレパートリーになっていたと想像されるが、昨今の演奏会で耳にする事は少ないように思われるので取り上げてみた。今回の低音加筆では小穴氏が遊び心に富んだアドリブを加えているので、四部、六部いずれの版でも楽しんでいただけると思う。
No.2206, 幻想的小詩「飛行士」 作曲 : R.ガルガーノ
○出典 Il Concerto, Anno14-22/22, 1914,
○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドローネ(コントラバスチェロ)
○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ
○パート譜 同上
作者は1879年1月イタリアのカタニアに生まれ、1962年7月スイスのベリンツォーナに逝いたマンドリニスト、指揮者、作曲家。17歳でマンドリニストとしてのキャリアをスタートし、トリエステでは"Estudiantina dell'Unione Ginnastica"の監督をつとめ成功をおさめており、同地の権威ある新聞には「驚異的な俊敏さと優しいタッチがガルガーノを偉大なマンドリン奏者にしている」と評されている。作曲家としての作品はマンドリンのみならず管弦楽曲、協奏曲、オペラなど多岐にわたった。一方ベリンツォーナのマンドリン合奏団でも指揮を務めた他、吹奏楽団の監督や聖歌隊長を歴任した。また1929年から1945年までは同じスイスのピオッタ映画祭の監督を務めるなど様々な音楽活動に深く根を下ろした活動をしていた事が伺われる。
マンドリン関係の作品はVita Mandolinistica、Il Plettro、Il Concerto各誌で1900年代初期、多くのコンクールに入賞し掲載されたが、1907年Il Plettroに掲載された"Villereccia(Suite Campestreの一部)"は本邦では1921年に早くも慶応大学マンドリンクラブが取り上げており、戦前にはいくつもの作品が既に本邦でのレパートリーとして定着していたようである。Il Concerto誌にも同誌のコンクールで受賞した行進曲「東郷元帥」や3パートのマンドリンとマンドラという珍しい編成で書かれた「夕べの祈り」等がある。またIl Plettro誌には詩的想起「優雅なリュート」や「ルツェルンへの挨拶」等の佳作がある。
本曲はIl Concerto誌1914年11月に発行された第21/22合併号に掲載された。当時このような合併号の扱いになるものは大作の部類で、なおかつ5部、6部の編成の作品は稀少なレパートリーだっただろうと推察される。また本作はIl Concerto1913~14年に開催された作曲コンクールのカテゴリー1(6部編成のマンドリン合奏の為の序曲、組曲,幻想曲の部)で最高位銀杯を受賞した作品で、応募時のモットーは「ボローニアへの挨拶」であった。同部門の佳作にはM.バッチの「ナポリの響き」とD.デ.ジョヴァンニの「五芒星の踊り」が入賞している。内容は「飛行の準備」に始まり、「飛行」、「着陸」、「大団円」と4つの部分に分かれており、中間部の飛行部分にはエンジンの音を模倣する為、二本のバチでミュートした太鼓を叩くという部分があり興味をひく。
1900年代初頭に開発された飛行機は約10年で飛躍的な進歩をとげ、本曲が書かれたであろう1913年はスイスのパイロット、オスカー・ビーダーがアルプスを超えてベルンからミラノまで往復飛行したり、フランスのローラン・ギャロスが初めて地中海横断飛行を成功させたりと注目を集める最先端の技術だった。翌1914年には各地で航空レースが開催されはじめ、郵便航空も始まっている。そんな時代の飛行機乗りへの憧れを想像しながら弾いてみるのも一興ではないだろうか。
No.2201, 即興曲 作曲 : S.ジェンティーレ
○出典 Il Plettro, Anno19-5,1925,
○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ(ad libitum)
○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ
○パート譜 同上
作者は1872年1月にパレルモで生まれた作曲家。パレルモ王立音楽院でグリエルモ・ズエリに師事。母校で音楽史と美学の講師を務めた他、モンテカッシーノ修道院ではピアノと歌唱指導を行った。1902年にはパレルモ王立パラティーナ礼拝堂のオルガニストと合唱指揮を務めた。またパレルモの大司教区神学校とギリシャ・アルバニア神学校の「スコラ・カントルム」を創設し数年間指導した記録が残っている。作品にはイタリア国王ウンベルト1世の没後、その死を悼んで作られたというレクイエム(没年から時期を経た作品であり実態が不明)やオペレッタの他、室内楽、吹奏楽、劇伴音楽など多数の作品が残っている。マンドリン関連作品は本作の翌1926年E.ジュディチ率いるベルガモの合奏団「エストュディアンティーナ・ベルガマスカ」が開催した「序曲」コンクールで第4位に入賞した「英雄序曲」や「間奏曲」「フランチェスカ叙事詩」の他にも数点がA.フォルリベージやL.サンドロン等から出版されていた。
本作品は1925年の「イル・プレットロ」誌の作曲コンクールカテゴリー(1)オリジナル作品の部で一等金牌を受賞した作品で同年の5月号に掲載された。コンクール入賞時に付されたモットーは「愛が息づくとき、私は気づく...」であった。また、同コンクールのカテゴリー(2)編曲の部でも同作者によるC.モンテヴェルディ「アリアンナの嘆き」の編曲は三等銅牌を受賞している。
「即興曲」は小品ながら変化に富み、苦悩と希望を行き来するように揺れ動く様は「英雄序曲」にも通じるほの暗い憂いを纏い、浪漫的で滋味深い作品となっている。
注目すべきは冒頭に記載された文豪ゲーテの戯曲「ファウスト」からの一節で、これは作曲家A.ボイトが自身で台本を書いたオペラ「メフィストーフェレ」の第一幕冒頭に記載された一節と全く同一で、要約すると以下のような意味の文言となる。
「もし私が過ぎ去る一瞬に対して思わず、止まれ、お前は美しい!と口にする事があるならば、お前は私を捕らえるがよい、私は死んでも構わぬ」(要約)※
作者がどのような意図で、この一節を冒頭に書き込んだのか深意は不明であるが、この作品を演奏してみるにあたりゲーテの「ファウスト」ってどんなお話なの?と調べてみる事は一つの知見に繋がると思われる。
※このセリフは同作中では第一幕二場で悪魔側の主人公であるメフィストが、人間側の主人公であるファウストに「死後の魂の服従」を条件に、「現世でのあらゆる喜怒哀楽を与える」契約を交わす場面でファウストが叫ぶセリフで、その後オペラのクライマックスでファウストが
“Sacro attimo fuggente,Arrestati, sei bello!A me l'eternità! muore“
「聖なるこの束の間の一瞬よ、止まれ お前は美しい!私に永遠を!死よ!」
と叫んでこと切れる一節に繋がっていく。
「ファウスト」の日本語訳で有名なのは「時よ止まれ、お前は美しい」だが、原文にもボイトの台本にも「時よ」という部分はない。またこの名言の意味には古今様々な解釈がなされているので、ここでは触れずにおく。