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合奏譜頒布会 バックナンバー頒布
grechi
No.2315,  ガヴォッタ・ロマンティカ   作曲 : E.グレキ

○出典 Il Concerto, 1904 Anno8-N.7

○原編成 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、

○スコア 第一、第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ

○パート譜 同上

 

作者は1900年代初頭の“Il Concerto”誌に多数の作品が掲載された作曲家で、作曲コンクールにも多くの作品が入賞したが、“Il Concerto”以外でその名を見る事はなく,生没年を含む詳細な経歴については不明である。

往時の刊行物によれば、1905年5月、ミラノ近郊のロディで開催された“Vita Mandolinistica”誌主催の「偉大なるマンドリンの夕べ」において、独奏を披露した他、ムニエル、ヴィツァーリ、モルラッキとクァルテットを組み演奏したとあり、写真も残されている。同記事ではProf.と冠されている事から何がしかの音楽院で教鞭をとっていたと思われる。石村隆行氏に伺ったところ、下記のサボーヤ同様パヴィアの出身で、サボーヤが首席指揮者を務めた楽団で同時期に首席奏者をつとめていたとの事である。

本作は“Il Concerto”誌が1903~1904年に開催した作曲コンクールで1等金牌を受賞した作品。転調 の妙と緩急のダイナミックな使い分けは豊かな感性を感じさせ、既にベテランの域にあった事が伺われる。本作掲載号の表紙には「このガヴォッタは、舞曲の躍動感とセレナータの優しさ、陽気で戯れるような微笑みと甘く情熱的なため息を併せ持つものである。才能あるマエストロ・グレキによるこのガヴォッタは、インスピレーションと出来栄えにおいて実に見事で、まさに音楽の宝石である。」と書かれている。

肩書には「尊敬と愛情の印として作曲家アレッサンドロ・サボーヤに献呈」と記されている。サボーヤは1855年ロンバルディア生まれで、1900年代には“Il Plettro”の作曲コンクールの審査員をつとめるなど当時の第一線で活躍していた人物である。

No.2207, 讃頌行進曲「イタリアの海」   作曲 : F.ヨーリ
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○出典 Il Plettro, Anno 36-1, 1942,

○原編成 第一、第二・第三マンドリン、マンドラ、ギター

○スコア 第一、第二・第三マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ

○パート譜 同上

 

作者については各種音楽事典を調査したがその名前を見いだす事が出来ていない。本作が掲載された “Il Plettro”当該号、及び同作者の作品が掲載された1926年、1941年の号も参照したが作者について触れた記事も掲載がない。1925年に作曲された<Mandolinisti>が同年の作曲コンクールで銅杯を授与している事から一定の経歴の人物と推察される。また同作品は親愛なる友人G.F.ポーリに献呈されている事からクレモナの合奏団に関連する人物であったかもしれない。作品は他にギター独奏曲があり、いずれも “Il Plettro”誌で発表されている。

また、“Inno Marcia”という題名は進軍歌を意味するケースもある為、イタリア海軍に関連した素材を用いていた祝典曲である可能性もある事を付記しておく。

作品はいたってシンプルな行進曲であるが、マンドリンが3パート表記となっているのが珍しい。また本作は掲載楽譜がパート譜のみで総譜は未掲載である。原パート譜の表情記号の漏れと考えられる部分は今回補完して採譜してある。

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No.2312,  演奏会用序曲「ロマの女」   作曲 : E.レネ

○出典 L’Estudiantina, 1908, 4 Année-No.62,63

○原編成 第一、第二、第三マンドリン、マンドラ、ギター、

○スコア 第一、第二、第三マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ

○パート譜 同上

 

作者はフランスのマンドリニスト、指揮者で作曲家。1867年にパリの北東部でベルギーと国境を接するエーヌ県イルソンに生まれた。リール音楽院の作曲コンクールで優勝した後、ボルドー、リヨン、パリ各地の作曲コンクールで管弦楽、ピアノ、四重奏など様々なジャンルの国際作曲コンクールで多くの賞を受賞している。本作の作曲当時はエーヌのヌーヴィオン・アン・ティエラシュオーケストラや市立管弦楽団の指揮者を務めていたとある。その後の消息は追えていないが1941年に没したという説がある。

本作は“L’Estudiantina”誌の第3回作曲コンクールのカテゴリー1で第2位に入賞した作品で、同作者のおそらく最初の本格的なマンドリン関連作品であるが、長い間日本には入ってきておらず、フランスの国立図書館の蔵書にも残っていなかった。フルートとコントラバスパートの譜面が別売されたとある。

市毛利喜夫氏はフランスのマンドリニストで、M.シヴィッターロに師事したクリスチャン・シュナイダー氏から、武井音楽文庫や中野譜庫に収蔵されていなかった“L’Estudiantina”誌を多く譲り受けており、本作もそのうちの一つ。シュナイダー氏は1998年に岐阜M.Oのゲストとして来日している。

楽曲の構成はいわゆる序曲らしいソナタ形式で書かれており、マンドリンパートが3分割されているのが特徴的である。技巧的には後年の序曲「マッサリア」と比較すると簡易に書かれているが、上記のような経緯もあり、これまでおそらく日本で演奏されなかった事も踏まえ、取り上げる事とした。独特なリズム感を楽しんでいただければと思う。

タイトルとなっている“Romania”は英語読みであれば単純にルーマニアと捉える見方もあるかもしれないが作者がフランス人であれば“La Roumanie”と記述すると考えられる。1900年代前半のルーマニアにはジプシー由来のロマ族がヨーロッパ最大のコミュニティを形成していた。彼らはロマニ系民族と呼ばれ、中東欧に居住する移動型民族である。市毛譜庫の楽譜には「ジプシー女」というタイトルが鉛筆書きで書かれており、シュナイダー氏から何かしらの示唆を受けた可能性も考えておきたい。作者のレネは他にも上記コンクール第5回で1等を受賞した「ジプシーの踊り“Ballet Tzigane”」という作品があるが、今回は後述の理由も踏まえ「ロマの女」と邦訳している。ちなみに<ia>はラテン語の地名接尾語であるが、西和中辞典(小学館)によれば「集合」の意を表す女性名詞語尾、「地位,役職,職業,場所」などの意を表す女性名詞語尾でもある。19世紀~20世紀初頭においてはロマ族の生き方そのものがロマンティックな生き方と捉えられロマを題材にした音楽や文学が多く生み出された。中でもロマ族(ジプシー)の女性は情熱的で魅惑的なものの象徴として歌や踊りのシンボルとなった。

※当資料館に収蔵された本作者の作品は5曲であるが、全て何かしらの作曲コンクールで上位に入賞した曲である。

※「ジプシー」という呼称は音楽作品にも見受けられるが現代では差別用語と捉えられている。放送禁止用語にもなっており地上波では「ロマ」と言い換えられる事が多いようである。楽曲名に用いられる、ドイツ語の「ツィゴイナー」( Zigeuner)、フランス語の「ツィガヌ」(Tsigane)や「ジタン」( Gitan)、スペイン語の「ヒターノ」 Gitanos)はいずれもジプシーを意味する言葉である。

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