頒布作品解説と参考音源

2021年
2021年1~6月

2021-001 . E.レテギエリ : 間奏曲

 

   作曲者はミラノで発行された"Il Plettro"誌1913年第24号に代表曲「スペイン幻想曲」が肖像画と共に掲載された際に、ブリュッセルの作曲家と書かれているが、詳細については判然としない。経歴の中で最も著名と考えられるのは1910年、トリノで“Lo Spettacolo”紙が主催したオペレッタの作曲コンクールにおいて、A.アマデイ、S.ファルボに次ぐ第3位に入賞している事があげられる。本コンクールはGiovanni Drovetti(1879-1958)の《La favola della Principessa(王女の物語)》の台本に対して作曲するという興味深いものであった。

   本曲はボロニアで発行されていた月刊誌"Vita Mandolinistica"誌主催の1905年の作曲コンクールで第一位相当の大銀杯(Grande Medaglia d'Argent)を受賞したもの。同誌の紹介には「甘い花輪のように優しいマエストロ・レデギエリ。シンプルかつ純粋な自然に沸き上がる旋律、神秘的な夢の魅惑を与える」等と評されている。Carlo D'Espagnac伯爵へ献呈との記述がある。同年5月の作曲家指揮で初演されたとされる。感傷的な作品であるが、洗練されたロマン的表現が作曲者の品位を感じさせる。マンドリンギター作品では他に1906年の"Il Plettro"誌の作曲コンクールで第二位を受賞したマンドリン讃歌「シンプロントンネル」や「スペイン幻想曲」等7曲がある。 なお本作品は1926年、1932年と二度に渡り"Il Plettro"誌に再掲載された事からも当時のレパートリーとして多くの需要を得ていた事が伺われる。

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2021-002 . A.コンソルティ: 乙女の夢

 

   作曲者の生没年は不明であるが中野二郎氏の調べによるとローマの人で、Mario Maciocchiの師であった人と伝えられている。


   本作品はボロニアで出版されていた"Vita Mandolinistica"誌の1911年第12号として出版されたもので、原編成には四重奏にピアノが加えられているが、ピアノを省いて演奏する事も出来る。他の作品としては1901年同誌に発表されたValzer "T'amo"が確認できる。
1906年にはフランスのL'Estudiantina誌の第一回作曲コンクールで四重奏作品"La Danza dei Fiori(花の踊り)"が第一位に入賞しており、Marcel Labbé社から出版されていた事を踏まえると当時の斯界における実力者の一人であったと考えられる。またイタリアの国立図書館の検索サイトによると管弦楽作品には行進曲などの自筆譜が残されている。

なお本作は"Il Plettro"誌の1929年第3号にピアノを省いた形でパート譜が再掲されている。

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2021-003 . P.シルヴェストリ : 子守歌「月の光」

 

    作曲者は1871年5月、イタリアのモデナに生まれ1960年2月同地で没したギタリストで作曲家。若い頃からモデナの音楽家Ludovico Selmiに学び、後にScuola Comunale di Musica di ModenaでA. Bianchinに和声と対位法、ピアノを学んだ。主な作品は撥弦楽器に集中しており、モデナで50人規模のマンドリン合奏団"Circolo Mandolinistico Modenese"を創立し、1897年師のS.Aldrovandi亡き後"Il Concerto"誌の主幹に就任した他、1901年にはロディにおける国際マンドリンコンクールの会長に推されるなど斯界への貢献度は非常に大きなものがある。後にファシストの一機関となるが、当初は広く大衆文化に貢献する組織として作られた L'Opera Nazionale Dopolavoro(O.N.D)の音楽部門のリーダーとしても活躍し、1933年の第一回の"Giornata Chitarristica Italiana(イタリアギターの日)"ではO.N.Dを代表して歓迎スピーチを披露するなどギター音楽界との繋がりも深く、1940年には"La Chitarra"誌にRomolo Ferrari(ロモロ・フェラーリ)への献呈作を発表し幅広い人脈を持った。コントラバスにも精通していたフェラーリはシルヴェストリのオーケストラのために1929年にモデナの"Ma setti"工房で重厚な質感を持った"Mandoloni"を考案し、デザインしている。彼のオーケストラはモデナの劇場で多くのコンサートを開催したほか、パルマの"Teatro Regio" 、レッジョ・エミリアの"Teatro Ario sto"などの名門劇場でも演奏を行った。マンドリン合奏における代表作のひとつ叙情曲「夏の庭」(1940年シエナのコンクールの入賞作品)の幽玄さは筆舌に尽くしがたい美しさをたたえた作品である。子供たちの教育にも熱心で二人の息子レンゾとロリスは、父の意志を継ぎ、演奏家としてだけでなくローマのセント・チェチーリア音楽院の教授となり後進の育成に尽力した。一族の音楽的遺産の一部は、現在モデナのエステンセ大学図書館のシルヴェストリ基金に保存されている。

   本作品は1906年の作品だが既に"Il Cincerto"誌だけでなくボロニアの"L'Armonia"誌も主幹をつとめ、"Il Plettro"誌にも作品を発表するなど耳目を集める人物となっていた。同誌の紹介文にはC.Tのイニシャル(後任の主幹Carlo Turcoか?)で以下のように紹介されている。
「私は彼の非常に良い友人です。私は彼を尊敬しています。 私はいつも彼の模範的な活動と彼の人生の誠実さ、彼の魂の音楽性、彼の芸術的情熱、旋律の美しさを賞賛してきました。とても素朴でありながら即興性的で示唆に富んでいます。」

 

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2021-004 . R.ガルガーノ : 無言歌

 

   作者は1879年1月、イタリアのカタニアで生まれ、1962年7月スイスのベッリンツォーナで没したマンドリニスト、指揮者、作曲家。 17歳でマンドリニストとしてのキャリアをスタートし、トリエステでは"Estdiantina dell'Unione Ginnastica"の監督をつとめ成功をおさめており、同地の権威ある新聞には「驚異的な俊敏さと優しいタッチがガルガーノを偉大なマンドリン奏者にしている」と評されている。1905年にロディで行われた"Vita Mandolinistica"誌のコンクールでも入賞している。作曲家としての作品はマンドリンのみならず管弦楽曲、協奏曲、オペラなど多岐にわたった。一方スイスのベッリンツォーナでは"Circolo Mandolinisti e Chitarristi di Bellinzona"の指揮を務めた他、吹奏楽団の監督や聖歌隊長を歴任した。また1929年から1945年までは同じスイスのピオッタ映画祭の監督を務めるなど様々な音楽活動に深く根を下ろした活動をしていた事が伺われる。 マンドリン関係の作品は"Vita Mandolinistica""Il Pletteo""Il Concerto"各誌で1900年代初期、多くのコンクールに入賞し掲載されたが、1907年"Il Plettro"に掲載された"Villereccia(Suite Campestreの一部)"は本邦では1921年に早くも慶応大学マンドリンクラブが取り上げており、同志社大学マンドリンクラブでも1940年に取り上げるなど戦前にはいくつの作品が既に本邦でのレパートリーとして定着していたようである。"Il Concerto"誌にも同誌のコンクールで受賞した行進曲「東郷元帥」、幻想的小詩「飛行士」など興味深い作品が並んでおり、再評価が待たれる作曲家の一人である。

   本曲は"Il Concerto"誌1903年第7号に掲載された作品で、紹介には以下のように記されている。 「穏やかな4月の風は、春の明るい太陽への前奏曲。純粋な大地の地平線から昇り、心の中に広がる穏やかな静けさ。この詩的な静けさは、我らが偉大なガルガーノの新しいロマンツァの優しい詩によって導かれています。それは確信に満ちた効果と優雅な色彩で書かれた、甘美な小詩です。」

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2021-005 . A.カッペルレッティ : 小さな恋人たちの舞曲

 

   作者はイタリアのコモで1877年1月に生まれ、1946年10月同地に逝いた作曲家。同地の音学院でPozzolo教授よりピアノ、オルガン、対位法といった基礎を学び、ボロニアではCesale dall'Olioから作曲法を、ミラノのG.Verdi音楽院では吹奏楽とオルガン、合唱といった課程で次々とディプロマを獲得した。経歴からも推測できるように多様なジャンルに作品があるが、特にオルガン作品を得意とし、コモのフェデーレ教会のオルガニストにもなり、各地のオルガン曲コンクールでも度々入賞したという。また宗教音楽のジャンルにも優れた作品を残しており、殊に対位法を駆使したその作曲技法には自信を持っていたと思われる。作品は国際コンクールで入賞し、パリのArrasから出版された”Aspiration Religieuse”やLuigi Picchiにより編纂された典礼音楽雑誌”Laus Decora"に掲載された多くの作品等のオルガン曲が最も多い。次いでピアノ曲や合唱曲、管弦楽関係作がある。マンドリン作品は「劇的序曲」、マンドリン讃歌「フローラ」がよく知られているが、実際には案外少なく8曲しかない。

    伝わる逸話には、生地コモの山々をこよなく愛し、かなり距離のあるミラノのスカラ座まで歩いて通ったというものがある。同地の伝統あるマンドリン合奏団である"Circolo Mandolinistico Flora"の指揮者として活躍し、Ugo Bottacchiariも同団のタクトをとった事から親交が厚かったという。(この伝統ある合奏団はそののち、かのUmberto Zeppiに引き継がれた)

    本曲は1906年に"Il Plettro"誌に発表された小品で、ごく初期の作品と考えられている。シリアスな作品の多い作者にあって、非常に可憐な一面を覗かせている。同年の作曲コンクールではマンドリン讃歌「フローラ」が入賞するが、直前の作品であろう。

   本稿の作成にあたり、石村隆行氏が自ら監督を務めるESTUDIANTINA PHILODOLINO di KYOTOの第2回定期演奏会の為に作成発表した校訂譜をご提供いただき使用した。ここに謝辞を記しておきたい。

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参考演奏

2021年

2021-006 . G.ボルツォーニ/G.F.ポーリ : 野趣,マドリガル Op.171

 
 

   作者は1841年5月パルマに生まれ、1919年2月トリノで逝去した作曲家で指揮者。パルマの王立音楽院でGiuseppe Del Mainoにヴァイオリンを、Giovanni Rossiに和声を学んだ。1866-67年にはカーニバルでA.Ponchielliと共にクレモナ市立劇場でオペラを指揮、以降1868年にはサヴォーナの管弦楽団で指揮者兼コンサートマスターを務めた。その後も1874年ペルージャのモルラッキ音楽院で所長兼指揮者、1876年にはピアチェンツァ国立劇場で指揮者に就任した。

    1884年にはトリノ市からテアトロ・レッジォの指揮者兼コンサートマスターに任ぜられた後、1887年にはトリノの"Giuseppe Verdi"州立音楽院の院長に就任し、後世はトリノで過ごした。

作曲家としての代表作は多くの管弦楽作品で「劇的組曲」「ロマン的組曲」「牧歌的組曲」の三部作、大管弦楽の為の「海の牧歌」や6つの演奏会用序曲、4幕のメロドラマ「アルプスの星」などがある。プレクトラム楽器の為のオリジナル作品としては"Gita Campestre,Suite Ideilliaca(牧歌的組曲「田園の旅」)"と"Notturno(夜想曲)"がある。斯界では多くの合奏、作曲コンクールの審査員を務めたが、自作の編曲にあたっては友人であり、名編曲家のGiovanni Francesco Poliに信頼を置いており、これは1906年の合奏コンクールでPoli率いるクレモナのCircoloMandolinisti e Mandolinisteの演奏に感嘆した為と言われている。Poli自身は所謂ディレッタントであり、1867年4月に生まれ、1927年にクレモナで没している。Pietro Caetaniの門下生で、1895年にAristide Cavalliと共に製材所"Cavalli & Poli"社を設立し、楽器製造も行った。

   本曲は"Il Plettro"誌の1910年第9号に掲載され、Poliの編曲に拠っている。同誌掲載譜は四部編成となっているが、イタリア留学中の石村隆行氏が上記のクレモナの合奏団でPoli自身が書いた四部編成用自筆スコア及びマンドロンチェロとマンドローネのパート譜を発見した。本作は1911年のトリノの合奏コンクールで「中世の城」第2セレナータと共に課題曲となり、審査員にはBolzoni自身が参加した。本邦においては1925年に早くも菅原明朗指揮の同志社大学マンドリンクラブが定期演奏会で取り上げている。なお、石村氏はG.Verdi音楽院でBolzoni自身が弦楽五重奏編成で書いた楽譜も発見している。今回の六部編成譜作成にあたってはPoli自身によるマンドロンチェロとマンドローネパートの追加と、Poliの四部編成自筆譜記載に基づいたマンドラの低音旋律のマンドロンチェロへの移行や、"Il Plettro"版では省かれてしまっている作曲者自筆譜のアーティキュレーション等を取り入れて作曲者の意図に忠実に石村氏が校訂した総譜を元に浄書譜を作成した。なお副題にある"Madrigale"は本曲をピアノ版として発表した時のタイトルである。オリジナルに記載された作品番号も併せて表記してある。

本出版にあたり、各種楽譜を石村隆行氏にご提供いただいたのでここに謝辞を記しておきたい。

 
 
 

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弾いてみました

2021-007 . V.ビルリ : 華麗 Op.226

 

   作者は1869年4月、イタリア北東部のエミリア州ラヴェンナ県Brisighella(ブリジゲッラ)で生まれ、1938年Firenzeで没した指揮者で作曲家。父Giuseppeよりフルート、ピアノ、作曲を学び、僅か16歳で本格的なオペラを作曲した。その後はPesaroのliceo Rossini(現在のロッシーニ音楽院)に学んだ。作曲者、指揮者としてフランス、スペイン、オランダ、イギリスを渡り歩いた他、教育者としても多くの門下生を輩出した。斯界においては教則本を出版した他、多数の作品を出版したが、作品番号のないものも多く、総数では500曲以上に及ぶと考えられるが、その多くはピアノ曲、管弦楽や歌曲である。本邦では戦前より愛奏されてきた「月への掻き鳴らし」、「シレナの唄」や中野二郎氏が編曲した「エチオピア小景」等、またSienaのマンドリンオーケストラの指揮者Alberto Bocci氏の編曲もありしばしば演奏されてきた。昨今の情勢を振り返るとこうした小品もまた復権されるべきもと言えよう。また1909年よりAmedeo Amadeiの後を継いで“Vita Mandolinistica”誌の主筆もつとめた事も特筆すべき事項であろう。

 

   本作はFirenzeのR.Maurri社から出版されたもので四重奏以外にも独奏や二重奏、ピアノ伴奏版などが出版されている。石村隆行氏作成の作品リストによればオーケストラ版もあったようである。他の作品同様明快かつ軽妙で作者らしいサロン音楽的な小品である。Two Stepは社交ダンスの最も基本的なステップで、左右の足で交互に半拍と一拍半を繰り返す二拍子の曲を指すが、トリオを配した曲想がMarcia的でありサロン風に洒落た愛らしい演奏を楽しみたいところである。出版年は記載されていないが、同時期に近い作品番号の曲がMaurri社から数点が発刊されており1910年頃と推察される。

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2021-008 . A.リプランディ : 序曲

 

   作者は1848年生まれで、イタリアに於いてマンドリンを庇護しその隆盛をもたらしたウンベルト1世王妃マルゲリータと同時代の人物。彼の動向を伝える文献は殆ど見当たらないが、石村隆行氏に提供いただいた”Il Mandolino”誌の記事によると1890年代にCircolo Mandolinistico «L'esercito »の監督を務めて、成功を治め、その演奏会は溢れんばかりの聴衆で埋めつくされたと書かれている。この時代のマンドリン合奏曲は隆盛期の初期にあたり、マンドリン2部とギターの3部編成のものが多く、彼の作品もその編成を基本としており、斯界最初の専門誌である”Il Mandolino”で発表されている。また長く闘病生活を送ったとされ、1906年、58歳という若さでこの世を去っているが、”Il Mandolino”誌の主幹であったGiuseppe Monticoneはその死に際して、妻と幼い子供を気づかい悲嘆にくれる訃報記事を書いており、芸術家として尊敬と崇拝の意を表している。(“Il Mandolino”誌は版数を重ねる事に記事が省略され、コンクールの受賞歴表記も簡略化されてしまっており、初版にのみ掲載された記事などは大変貴重なものである。)

 

   本作品は”Il Mandolino”誌の1900年の作曲コンクールで金賞を受賞した作品で、審査員にはGiovanni NavoneやTancredi Fornelisらが名を連ねている。当時としては非常に珍しいマンドリン3部、マンドラ2部、ギターという編成で書かれている。マンドラを編成加えた最初の序曲作品は1898年に同誌の第4回コンクールで金賞を受賞したDomenico De Giovanniの”Sinfonia in Sol”と考えられるが、僅か2年後にこれほど流麗で変化に富んだ作品が生まれている事に驚きを感じる。特に第2マンドラパートについてはリュートで代奏または一緒に弾く事を推奨と記述があり、マンドラテノールのG線音域をリュートで補うという点に作者の感性を伺わせる。

その他の作品も全て”Il Mandolino”で発表され、第4回のコンクールで銀賞を受賞した”Intermezzo”、”Al Merito(Marcia Militare)”、等計5曲が確認できている。

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2021-009 . C.カンナ : 愉快な鐘

 

   作者についてはフランス、ブローニュ=シュル=メール(Boulogne-sur-Mer)のオカリナ・マンドリン合奏団の指揮者を勤めていた事、1947年に没した事以外の詳細がわかっていない。作品にはIl Plettro誌の第4回作曲コンクールで佳作に入賞した「村祭」や劇的序曲「放浪者」、序曲「フローレンスの女」、日本風行列「トキオ」等がある。「村祭」は1922年の同志社大学マンドリンクラブ第一回私演会で演奏されるなど黎明期の本邦で既に演奏されており、特に戦前期にはその作品を取り上げる楽団が多かった。

   本作はフランスのHenry Lemoineから出版され、ad libtum ではあるがマンドロンチェロの代わりにヴィオロンチェロが編成に加えられた五重奏曲でカンナの作品では本曲のみと思われる。また” Joyeux Carillon”という題名の楽曲は様々な作曲家が書いており、クリスマス、イースターなどお祝い事を題材とした作品が多いが、本作の由来は不明である。

2021-010 . L.ミリロッティ/G.ベルレンギ :  ひとつの星

 

   作者は1835年ラヴェンナに生まれ、1911年にマルセイユで没した作曲家。長年ローマに住み、歌唱指導を行っていた他、弟のジュゼッペ・ミリロッティとオペレッタ「小妖精の復讐」と「月の夢」を共作した。後にマルセイユに移り住んだ後も教師として好評であった。美しい歌曲の作曲家として著名で、G.RicordiやSalvatore Consortiから多くの作品が出版された。

   本作は1878年にボストンのOliver Ditsonから出版されたピアノ伴奏の歌曲で、米The Library of Congressのサイトで、マイクロフィルムで保管されたオリジナルの出版譜を見ることが出来る。マンドリンへの編曲版はG.ベルレンギが編曲してA.Forlivesi社から出版したもの。表紙を見るとピアノまたはギターの伴奏で様々な編成で出版された事がわかる。表紙の上部に「サンフランシスコのナポリタンマンドリンクラブの指揮者で高名なマンドリニスト サミュエル・アデルスタインへ」と書かれている。総譜はなくパート譜のみが出版され、いくつかのパートにはピアノがない場合は小さく書かれた音符を代わりに弾く、と書かれている。

    編曲者のジュゼッペ・ベルレンギはボローニア出身のチェリスト、作曲家。本作を出版しているA.Forlivesi社の創設者で、自身の作はしばしば伊・仏・独・英の4カ国語で出版された。P.ボーンの”The Guitar & Mandolin”では”champion of the mandolin”と形容されている。

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2021-011 . R.ジェリ :  夏の夕暮れ

 

  作者については各種の音楽辞典、作曲家辞典を見ても情報がなくどのような人物であったかが不明である。

プレクトラムの為の作品も現在見つける事が出来るのも本作1曲のみである。

  作品の冒頭には掲載されたIl Plettro誌の主幹であるAlessandro Vizzariに対して「深い敬意を表する」と書かれているがVizzariとの関係も不明である。

(本作に関する情報があったらぜひお寄せください)

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2021-012 . H.ゴアール/A.ボッチ : 鐘の祭

 

   作者はフランスの作曲家で、フランスのオセールのサン・ピエール教会のオルガニストであった。パリの国立音楽院でDuprato、Lavignac、Marty、Pugnoらに学び、1896年に対位法とフーガを修め、1900年には作曲家協会でプルミエ・プリを受けた。作者自身はマンドリンを演奏しなかったが、マンドリンのための作品は本曲の他、U.M.L.のコンクールで第1位を受賞した三重奏のための子守歌セレナーデが存在している。

 本曲は1906年のIl Plettroの第1回国際作曲コンクールの第2項の「ボレロ、前奏曲、間奏曲、セレナータ」の部門において文部省の芸術賞を受賞している。同時の受賞作として、A.Amadeiの「イ調のミヌエット」(大銀牌)、E.Redeghieriの「スペイン風幻想曲」(銀牌)、G.Mantenteの「秋の夕暮れ」(銅牌)、U.De Martinoの「月ありき」(銅牌)がある。コンクールの当初の告示では第1項(マンドリン讃歌)は大金牌、大銀牌、賞状、それ以外については金牌、銀牌、銅牌、賞状が賞品であるとされていたが、結果的にはこれらは入れ替わったようである。文部省芸術賞がメダルの賞よりも上であるのはイメージしづらいが、第2回のコンクール告示のカテゴリーCは1位が文部省芸術賞、第2位が銀牌とされているため、第1回コンクールでも文部省芸術賞は第1位と解するべきものと考えられる。なお、コンクールの第2項の締め切りは1906年8月末であった。

 本曲はIl Plettroの1908年3月に掲載された他、1931年にも再掲載された。Il Plettroの初期の号には本曲が推薦曲として度々紹介されていた。

 題名のFête Carillonnéeとはローマカトリック教会の大規模な祭典で、その最後にはカリヨン(鐘)が鳴らされる。題名に付されているイタリア語の「Scampanio festoso」は、祭りの(陽気な)鐘が鳴り続ける音という意味である。

 曲は三部形式による。イ長調の主部は鐘を模したオスティナートが鳴り響く音楽であり、最初にマンドラで提示されたオスティナート上に旋律が移ろう。ホ長調の中間部はQuasi misticoと記されており、緩やかで幻想的な音楽である。

 頒布譜は、シエナの合奏団Orchestra a Plettro Seneseの設立者で約60年に渡って指揮を務めたAlberto Bocci氏が補筆したもので、原編成のマンドリン2部、マンドラ、ギターに加えてマンドロンチェロとベースが追加されている他、第2マンドリンは2つに分割されて音が補足されている。Bocci氏は日本とも縁が深く、全日本高等学校ギター・マンドリン音楽振興会の招きで1970年代には度々来日し多くの作品を本邦にもたらした。

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参考演奏

※各作品の解説については、

Litalia Musicale d'oggi Dizionario dei Musiciti (1928) ​/ Albert De Angelis

Dizionario dei chitarristi e liutai italiani (2008) / Editorice "La chitarra" Bologna

Dizionario Chitarristico Italiano (1968) / Carlo Carfagna e Mario Gangi , Ed.Berben

Dizionario Universale dei Musicisti (1929) / Carlo Schmidl, Casa Ed. Sonzogno

Romelo Ferrari e la chitarra in Italia nella prima metà del Novecento (2009) / Simona Boni

Dizionario de Guitarristas (1934) / Domingo Prat

The Guitar and Mandolins (1972) / Philip J.Bone

Dizionario RICORDI della Musica e del Musiciti (1959) / Claudio Sartori

石村隆行氏からご提供いただいた各種資料​、故中野二郎氏、故松本譲氏が残した各種資料

​その他各種専門書籍などを元に作成しております。